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考えた時にだけ現れる [気づき]

人間の脳は三層構造(人間脳、哺乳類脳、爬虫類脳)になっていることが分かっています。一番古く、生きていくための根幹をなしている爬虫類脳があります。瞬時に反射する脳であり本能のままに行動します。次に進化して作られたのが感情というフィルターを通して世界を見ることができるようになった哺乳類脳でしょうか。親子の繋がりや親愛の情を理解して行動するようです。ある程度の記憶ができ学習することができます。爬虫類脳と哺乳類脳とはストレスに対して「戦うか逃げるか」という反応をするようです。我々は直に爬虫類脳・哺乳類脳に働きかけることができるでしょうか。大脳皮質を活動させて何かを得るのではなく、大脳皮質についた癖をとるということによって正常(=清浄)な働きをするかもしれません。”我”の妄想を見破り分別以前の本来の自己を知る。

 一番新しいのが大脳新皮質であり、特に人間は言語によって思考することができるようになっています。存在しない”私”・”時間”という概念で過去・現在・未来という時間を思い浮かべ、”私”がいかにあるべきかということを考えることができるようになりました。

 他の動物から襲われることはほとんど無くなりました。人間の敵は他の動物ではなく、環境・他の人間・自分自身かもしれません。作物を貯蔵することができるようになり、農耕によって定住することが可能となりました。より多くの土地を求めて安定したいという企てによって、領土争いをしてきました。人間の最大の敵であり恐れるべきは人間であり、戦争で命を落としています。戦争の当事者は正当性を主張するのですが、勝ったほうが正しいということになります。正当性は後付でどうにでもなり、勝てば官軍負ければ賊軍ということです。

 

 ストレスから逃れ「安全・確実」に子孫を残せるようにするために有性生殖へと進化したのでしょうか。自己分裂によってコピーを作り続ける無性生殖から、環境変化に順応できるような多様性という生存形態で進化してきました。今ここに生存しているということは、命が繋がっている証拠です。他の生命体は生殖行為が終われば個体としての生存理由はなくすぐに死を迎えるようです。多くの命を食して体内に合一して生かされています。偶然に人間として生まれたのですから、生きている間に”本来の自己”に巡り会えるチャンスがあればそのチャンスを生かしたほうがいいと思われます。

 

 人間のストレスは、他の人間からの攻撃(=征服・権威・服従・従順・金銭欲・愛憎・暴力)があります。どうしても爬虫類脳・哺乳類脳が主体と成って働くようになっています。爬虫類・哺乳類の行動を抑制する中間体としての”私”を大脳皮質が作り上げたのでしょうか。

 人間社会という枠組みの中で「安心・安全」に生きていくために、言語を使い概念をこねくり回して思考することを学ぶことになります。理性に基づいた行動をするように教えられて成長します。

 ”私”・”時間”・”概念”というモノを使って思考する癖がついてしまった脳は、社会的な問題を解決することに使われます。問題の根本解決とは、問題を問題としないということです。自給自足で生きていくことができればお金に振り回されることもありません。少欲知足(清貧)であれば、無ければ無いという事実であって困ることはありません。(良寛さんは一つの鍋しかなかった)

 将来の”私”ということを考えたらどんどん不安が膨れ上がるばかりです。シミ・シワでも悩みになるのですから身体の至る所に気を使い始めたら不安で眠れなくなるかも知れません。

 

 ”私”が考えるのではなく、考えたからには考えた主体があるはずだという思い込み(=観念)で”私”がいるとしているようです。何でもかんでも”私”によって為されるとしたら大変なことです。上手く行かないということは”私”がやっているのですから”私”は思うように働いておらず、”私”が”私”を非難することになります。”私”の思いの通りになったら”私”を全面に出してどいこうする必要はなくなり”私”はいつかお払い箱になります。”私”がいようがいまいが現在起こっている”今”になるのなら、”私”は神かもしれません。世界全体の至るところで起こっているほんの一つの現象なのですが、その一つを”私”が起こしているのでしょうか。それとも一つの現象の集まりが全体の現象なのでしょうか。さざ波の一滴が海のうねりを発生させているわけではありません。海のうねり(=全体)によってさざ波の一滴としての現象があります。

 例えば、足を組み替えたというのは全体(=極端に言えば宇宙)の動きとして起こった一つの現象だということです。爪を切った・髪をとかした・歯磨きした・・・自身の一瞬一瞬の行いは宇宙の動きそのものだということかもしれません。どんな些細な出来事も、宇宙とは切り離されていないと言うことです。ちょっと背筋を伸ばすのも、宇宙的な出来事が起こったということです。違うと言うなら、些細な出来事を全てフリーズさせたら宇宙は動いていないことになります。我々が何らかのエネルギー(=宇宙エネルギー)で動いているのは間違いありません。

 

 我々人間はストレスに対処するために”私”・”時間”・”概念”というものを作り出して来ましたが、この”私”というものが何かを達成したり自らを助けてくれるという思い込みを持ってしまったかもしれません。”私”は考えたときにだけ”私”として認識してしまいます。

 

※脳の癖:瞬時に選り好み(=分別・相対)して問題としている。自らが問題を作って悩み苦しんでいる。

参考:至道無難唯だ揀択(けんじゃく)を嫌う(信心銘)

 

 

 

<注:勝手な個人的な見解の部分がありますので、鵜呑みにせずに実証実験によって確証することをお願いいたします。引用もしくは酷似表現の場合は、タイトル及びアドレスの明記をお願いいたします。>


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