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イマジンー3 [イマジン]

Imagine no possessions I wonder if you can

No need for greed or hunger

A brotherhood of man Imagine all the people Sharing all the world

You may say I'm a dreamer

But I'm not the only one

I hope someday you'll join us And the world will live as one

財産(=所有物)がないと想像してみて

想像できるだろうか

飢えることもなく欲張る必要もない 人は友愛でつながっている

想像してみて 誰もが世界を分かち合っていることを

夢想家と言うかも知れない

僕は一人じゃない

あなたも一緒になれば きっと世界は一つになるよ

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 何も所有していないとは、私有財産を否定することであり民主主義を否定するものです。自由経済のもとで自由に経済活動を行えば経済的に恵まれた人と恵まれない人に分かれるのは自明のことです。平等は偏りや差別がないということですが、人間社会ではヒエラルキーが厳然たる事実です。もともとは平等を目指す宗教が一番の支配構造(=不平等)であった。ヒエラルキーの語源は宗教界が「階層的な」組織を持っていたことに起源があるようです。精神性にどのように階層をつけるのか、教理の理解度なのかよくわかりません。


 人間の感覚(=インプット)に差があるでしょうか。人間の処理能力(=分別)と行為(=アウトプット)に差が出て、その差を誰かが階層をつけているのでしょうか。

 社会的な「私=自我」だけで社会を見れば、トリコロール(=三色旗=自由・平等・博愛)は理想であって現実には難しいようです。

 インフラが途絶えた場合、私たちに不可欠な物は少数で、無くてもいい物が多数を占めているかを認識することができるかもしれません。家の中を見渡すとすぐにでもゴミになるような物に囲まれているかもしれません。

 電気エネルギーや水という本当に必要なものが当たり前のようにありました。目に見えない電気エネルギーが命を養ってくれていたということを実感できます。平凡な生活が何よりであったと感謝できます。

 我々は一体何をしているのだろう、呼吸して食べて寝て働いて排泄しているだけなのでしょうか。

 所有することだけにエネルギーを使い果たして一生を終えるのが人の役割なのかを考えるチャンスとなるかもしれません。

 海洋資源の奪い合いや他の資源の奪い合いがいまだに続いています。現実に秋刀魚が口に入ることが難しくなっています。ぶんどり合戦をしている場合ではないと誰もが気づいている筈です。地球に人間だけが住んでいるかのように振る舞っていては先が思いやられます。

 月や火星にユートピアがあるのでしょうか。地球を汚すことは自らが泥沼に飛び込む行為かもしれません。  「自分かわいい」のですから他人も「自分かわいい」と思っています。お互いに分かち合うようになり、奪う経済から与える経済への転換が必要なのかも知れません。


「毎日を生きよ。 あなたの人生が始まった時のように。」 ゲーテ

「絶えずあなたを 何者かに変えようとする世界の中で、自分らしくあり続けること。それがもっとも素晴らしい偉業である。」 エマーソン


<注:勝手な個人的な見解の部分がありますので、鵜呑みにせずに実証実験によって確証することをお願いいたします。 引用もしくは酷似表現の場合は、タイトル及びアドレスの明記をお願いいたします。

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イマジンー2 [イマジン]

Imagine there's no countries

It isn't hard to do

Nothing to kill or die for And no religion too

Imagine all the people Living life in peace

You may say I'm a dreamer

But I'm not the only one I hope someday you'll join us

And the world will be as one

国がないことを想像してみて

そんなに難しいことじゃないさ

国のために殺したり死ぬこともない そして宗教もない 想像してみて 

誰もが平和に生きている

夢想家と言うかも知れない

僕は一人じゃない

あなたも一緒になれば きっと世界は一つになるよ

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 私たちは望んで生まれてきたわけでもなく、気づいたら人間という得体の知れないものとして存在していて、◯◯国の◯◯人として生きています。最初から◯◯人というレッテルが貼っているのではなく、社会システムの中で教えられるようになっています。

 社会的な「私」は、身につけるものや所有するものと自己同一化するようです。また、所属する団体や国というものに同一化していきます。良いとか悪いとかの議論ではなく同一化する性質をもっているようです。国を誹謗中傷されたりすると自分を攻撃されたように感じることもあるようです。スポーツで国の威信を賭けて戦い勝利すると自分が勝ったように誇らしく感じることもあります。

 国を代表する政治家であればなおのこと、国際社会での発言力や存在感を示したいものです。国という実体のないものに人格的な同一化をしています。国というものを自分と同一視して劣等感やプライドさえもつことになります。行き過ぎると力を見せつけて支配したいと思うようになり、最終的に戦争へと舵を切ってしまったということが歴史的事実にあります。

 自分かわいい(=愛国心)を喚起し始めたら危険な兆候だと思わなければなりません。

 幸福度ランキング1位のフィンランドという国のシステムや「寛容性」を学ばなければならないかもしれません。国会議員の半数近くが女性であり、現実の生活者の視点が生かされているかも知れません。国の富よりも国民の生活の質の方が優先されているからかもしれません。

 宗教は教理を信じることですから、教理に反することは受け入れずに排除することになります。何かを信じている限り解放や自由があるでしょうか。我々が目指すところが「解放と自由」なのに、「支配と束縛」を信じているという矛盾の中にいるのではないでしょうか。

 誰にでもフィットする服(=教理)があるでしょうか。教養やアイデンティティや環境や風習や年代を問わず誰でも理解でき当てはまる教理とは幼児と学者が理解できる(=ピッタリ合う服=教理)なら驚きです。服(=教理)を脱ぎ捨てて自由に大海原で泳げる自分を想像してみるのもいいかもしれません。他から教えられる事なのか、自身で理解すべきことなのかどちらなのでしょうか。

 政治と宗教が合体したら大変なことになります。信じていること以外を排除するのですからすぐに対立が起こり徹底的に排除することになります。これも歴史を紐解けば明白なことのようです。


<注:勝手な個人的な見解の部分がありますので、鵜呑みにせずに実証実験によって確証することをお願いいたします。 引用もしくは酷似表現の場合は、タイトル及びアドレスの明記をお願いいたします。

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イマジン−1 [イマジン]

Imagine there's no Heaven

It's easy if you try

No Hell below us Above us only sky

Imagine all the people Living for today...

天国はないと想像してみて

そんなに難しいことじゃないさ

下に地獄なんてないし

上には見渡すかぎりただ空が広がっているだけ

想像してみて

誰もがただ今日という日を生きている

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言葉や記号や絵や音符や図面は人間がイメージを共有したり他に伝えることのできる発明品のようです。現実に存在していないものを作り出すためにイメージが使われます。イメージを使って、現実の物質に働きかけて熱したり削ったりという加工によって現前させることができます。

 イメージ力が現代の社会を作り出してきたと言っても過言ではないかもしれません。イメージ力は現実を変革してきたし、これからも現実を変化させていく力をもっているようです。

 Imagineは今ある現実から、あるべき現実へと変革をもたらす力を秘めているのではないでしょうか。我々はイメージしながら歌い、イメージしながら聴くことで現実に働きかけることができます。

 社会的な「私=自我」は肉体の死によって意識が断絶することを理解しています。生の感覚が素晴らしいことを知っているので、死を極端に恐れます。死を概念で克服するには、永遠の「生」という概念が救いとなります。さらに傷つくことのない「魂」や理想世界である「天国」という概念が安心をもたらしてくれます。  世界にあるどの◯◯教でも、過去の教理を頑なに守り続けています。時代も環境も科学技術も社会制度も人自体も変革しているのに教理は昔のままであり、現実を教理に合わせるように都合よく解釈してます。信じている集団ごとに神がいて、神の概念も異なっていて神が乱立しているようです。

 「全知全能である」という人間の身勝手な都合の概念で作られているので、矛盾した神にならざるを得ません。  「全知全能で善なる神」から苦しみや争いの絶えない世界が作られているのは何故でしょう。教理に従わないあるいは反する人間は悪であり、信じる者だけが祝福され正義となっています。

 歴史的な事実として、魔女狩りや宗教戦争が一番残忍な蛮行であと断罪されるのは歪めることができないようです。信じるという名のもとに行動している人に悪魔が乗り移ったかのように感じるかもしれません。  天国という餌で釣って、地獄という恐怖で逃れさせないようにしていると指摘されるのも否定できないような気もします。


<小話>  Aさんは敬虔なる◯◯教の信者であり、戦禍に巻き込まれました。◯◯教では約束された安住の地を確保するという大義名分のもとに闘っていました。Aさんは大変勇敢であり、多くの敵を排除して勲章までもらう功績をあげました。ついに寿命もつきて審判の日がやってきました。

   「あなたの生前の善行は?」と問いただされたので、ここぞとばかり自らの功績をまくし立てました。「私は誰よりも信心深く、いつも教えの言葉を唱えていました。△△教の人も多く葬ってもきました。他の教えには見向きもしませんでした・・」

 「地上こそ神の国である、血に染めたのは許しがたいことである。」・・・  未来(=天国や地獄)のために生きているわけではなく、今日という日を生きています。生の感覚を味わう。◯◯教の教理を信じることだけが人生?  文字ではない目に見えない繋がりがある。今生きている人と分かち合い、受け入れることで満たされている。天国の執着から開放され、地獄という束縛からも開放されて自由に生きている。そんなイメージでいるのもいいかもしれません。


<注:勝手な個人的な見解の部分がありますので、鵜呑みにせずに実証実験によって確証することをお願いいたします。 引用もしくは酷似表現の場合は、タイトル及びアドレスの明記をお願いいたします。

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