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流転 [気づき]

 食べ物を摂取すると、体内の中で消化(=消え去り)されエネルギーとなり残りは排泄されます。どのように分解されるか自分の意志の介入はできません。自然界でも空気中の水蒸気は雲になり雨や雪になり大地・海へ降り注ぎ循環しています。モノが作られ消費されたり飾られたり保管されたりしますが、何時かは分解されて消え去ります。

 私たちが見聞覚知するモノは瞬時に消えるモノから永遠にあるかのように感じるモノまで多様なモノにかこまれています。瞬時から永遠までの認識は人間が感じる時間の観念を当てはめて推測しているにすぎません。過去の記憶と比較したり、思い描いている未来と比べると時間という概念が使われます。実際は過去は記憶だけであって消滅しているのでどこにもありません。未来は思い描いているだけでどこにもありません。「たった今」だけが明滅して続いているだけ。 

  私たちが「たった今」見聞覚知している世界だけが自分の認識(=感受)している世界です。高齢になって聞こえなければ聞こえない音があったとしても、聞こえない人には音はありません。紫外線・赤外線が見えている生命体が見えている世界と人間の見えている世界は異なっています。各々の五感の能力によって感受できている世界が異なっています。同じ世界に生きているようですが、環境・イデオロギー・宗教・教育・社会制度等々によって全く異なる思考回路(=観念)が働いて行動していることになります。実際に感受している世界と記憶や予測で思い描いている世界があります。芸能人が逝去した後に、街頭でインタビューすると必ず驚きます。自身の記憶の中では逝去した芸能人は生きていますが、実際は亡くなられているので齟齬があります。自身の記憶の世界と事実の世界が異なっていることが分かります。事実の世界がちっぽけな世界でしかないということが分かります。リアルタイムで感受できている世界は宇宙全体からするとほとんど無に等しい世界だということになります。我々の存在も無に等しいということが納得できると思います。

 自身の体内で起こっていることのどれだけのことを知っていると言われれば、はなはだ心もとないのではないでしょうか。

 

 二人の人が同じ場所に隣り合わせて同じ光景を見ていたとしても同じ思いが湧き出てくるわけではありません。湯沢スキー場の前でスキーに来た人はどのように楽しもうかと思い、地元の人はどうやって雪を始末しようかと思います。他人がどう思っているかなど知りようもありませんし、これから自分にどのような思いが浮かんでくるかも分かりません。分からない中で生きてきたし生きているし生きていくことになります。自分の未来を事細かくあてることのできる占い師などどこにもいません。

 過ぎ去ってしまった過去を思い出して落胆して現在がよくなることがあればいいのですが・・。希望に満ちた未来を思い描いて思い通りになればいいのですが・・・。

 

 どうにもならない過去・未来を「なんとかしたい」という思いをきっぱり諦めれば、葛藤の火種は少なからずおさまっていくはずです。無に等しい自分の世界・無に等し自分の存在です。どんなことが起こっても取り合わない(=湧きおこる思いに付き合わない)時間(=例えば坐禅)には、「なんとかしよう」という自分が不在となっているかもしれません。

 

仏道をならうというは、自己をならうなり。

自己をならうというは、自己をわするるなり。

自己をわするるというは、万法に証せらるるなり。

万法に証せらるるというは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。

(正法眼蔵現成公案)

 


自己をならう:自分自分という自分にどんな思いが湧きおこっているのかを只傍観する。

自己をわするるなり:湧きおこってる思いにとらわれない。

万法に証せらるるなり:あると思っている世界がほとんどで、「たった今」の世界は無に等しい。自己も「無」であり他己も「無」。

 


<注:勝手な個人的な見解の部分がありますので、鵜呑みにせずに実証実験によって確証することをお願いいたします。引用もしくは酷似表現の場合は、タイトル及びアドレスの明記をお願いいたします。> 

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