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「知りたい病」にうんざり [気づき]

 動物は常に身の危険にさらされています。常に緊張を強いられて平穏でいられないというのが現状のようです。善なる「神」が自らの意志で、平安と程遠い弱肉強食の世界で緊張を強いていて、「神」自らは神々しい光を放って笑みを浮かべているとしたら。

 人間も社会の中で様々なストレスを強いられ、病原菌やら差別やら人間関係での軋轢によって悩みがつきないようです。何世代にも渡って、「神」に祈っているのに彼らの祈りはいつになっても聞き入れられないようです。

 

 人間は、身体に似つかわしくない大きな脳を持ったおかげで想像・創造・妄想できてしまうようです。どうでもいい情報に振り回されているのに、どうでもいい情報を真に受けてい対処しているようです。人間も所詮は動物の一つの種なので、本能によって「自分かわいい=自己保身」のために危険を察知しています。危険を察知する脳の癖は、今では何でもかんでも「知りたい」という病的なものになっているようです。

 おかげで子供は教育を受けなければなりません。成長すれば、哲学者・科学者・論理学者・心理学者・歴史家・・・だれもが◯◯者として知識を蓄え、モノを扱うことができています。

 

 言葉・文字を発明できたことで、あらゆることを概念化できるようになっています。大きな勘違いは、概念を得たり何かを操ることができるようになることで何者かに「成る」と思い込んでしまったことかもしれません。

 ボールを蹴ったり、ボールを弾き返したり、速いボールを投げたり、ボールを枠に投げ入れたり・・・・並外れたプレーが賞賛されて豪邸に住むことができているのが現実です。

 何に価値を見出すかは時代や人々の欲求によって変化しています。人類の過去においては常軌を逸した「魔女狩り」のようなことも行われていたのも事実のようです。宗教的な争いや偏見が一番残虐であることはどうしたことなのか、自分たちの信念を守るために徹底的に痛めつけるというのが人間の奥底にあるものかもしれません。

 

 人間はただの人間でしかなく、鳥のように飛べるわけでもなく、イルカのように泳げるわけでもなく、モグラのように土の中で生きれるわけでもなく・・。二足歩行ができる得体の知れない哺乳類でしかないということを肝に命じて、折りに触れて思い出してもいいかもしれません。傲慢に地球環境を好き勝手に荒らすだけでなく、謙虚に生きている自分と向き合えれば平穏でいられるかもしれません。

 人間が何かを知ったからと言って「スーパーマン」や「スパイダーマン」などの超人に変身するわけではなく、体格的に恵まれていることと練習によって普通の人間ではできないことができるというレベルに腕を磨いたということのようです・・。

 

合意的現実

 ほとんどの人が信じれば「それ」が真実や現実だとみなされる物事・状況を「合意的現実」と定義されているようです。

 「神」の存在を一定数の人々が信じていれば「合意的現実」とみなされる。「神」の存在を信じることをやめれば、合意的現実が変化して「神」にたよらなくてもいい現実となるのでしょうか。

 天動説という合意から地動説というコペルニクス的転回によって、「合意的現実」が天動説というのは非現実であるということになったようです。戦時においては自国の正義が「合意的現実」であり、自国の暴走(=不正義)が非現実とみなされる。マスコミや知識人や政治家の誘導によって多数の人が信じてしまえば非も是となってしまうようです。

 

「愚者と賢者は共に害がない。半端な愚者と半端な賢者が、いちばん危険なのである。」ゲーテ

 賢者は半端な人を相手にしない。愚者は半端な人に相手にされない。経験上賢者になれませんので、愚者として日々生活させて頂いています。愚弄されても柳に風で非常に楽に生きていけます。

「人々が思考しないことは、政府にとっては幸いだ」ヒトラー

「偉大な嘘つきは偉大な魔術師だ」ヒトラー

「大衆は、小さな嘘よりも大きな嘘の犠牲になりやすいだろう」ヒトラー

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惟寛という禅師がいた。ある学僧が尋ねた。

「禅師様、犬にも仏性はありますか」「ある」

「ならば禅師様にも仏性がありますか」「わしにはない」

「もろもろの衆生にも仏性があるというのに、禅師様だけはどうしてないとおしゃるのですか」

「わしはもろもろの衆生ではないからである」

学僧がまた聞いた。「ならば衆生でないなら仏ですか」「わしは仏でもない」「ならば一体どんな物ですか」「物でもない」

「見たり考えたりすることはできますか」「考えることも議論することもできぬ」

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 何度も何度も書いていますが、人間は知ることで解決でき問題から解放(=自由)されて安心できると思い込んでいるようです。知らないということは困りごと(=悩み)として捉えているし囚われていることのようです。しかし、知る(=知識)として記憶したらかと言って、何かが劇的に変わるのかはなはだ疑問なのですが。

 人間は他の動物からの危害をほとんど気にすることなく安全に生活できています。しかし、所詮は動物ですから「何もしない」ということに慣れていないので、持て余している時間をどう使うかに苦労しているようです。先進国の人達は、何も生産しないで時間とお金を費やすゲームに興じたりバイクや自動車などや様々なスポーツでストレス発散しているのが現実です。

 途上国では大きなプールを作るお金もないし泳いでいる暇のある人もいません。大きなスケートリンクを作るお金もないし氷を維持管理することもできません。年に何回使うかわからないレーシングコースを作って維持管理し改造車やF1マシンを走らせる人も多くはいません。

 後進国の人にとって先進国の人の暇つぶしを見て、何をしたいのかサッパリ理解できないかもしれません。動物から人間を見れば理解不能な二足歩行動物かもしれません。

 

・「禅師様、犬にも仏性はありますか」「ある」

 学僧の知識では、伝統的仏教では「悉有仏性」という観念があるので禅師も同じように確認しているかどうかを聞いてみました。

 「仏性」は単なる概念であって触れたり掴んだり得たりできるものではないようです。実際仏性なんて誰かが考え出したものであって、「無」だったわけですから見えたもの全てが仏性であり触れたものが全て仏性であっていいということ。修行の進捗過程もないしヒエラルキーなどの階層も人間が勝手に想定している作り事なのかもしれません。禅師が「仏性」として見えているのではなく、見えるものを仏性としてるにすぎません。そこで「ある」というふうに答えたかもしれません。

 ある禅師は、お前の抱いている仏性の概念など「ない」と答えるかもしれません。

 

・「ならば禅師様にも仏性がありますか」「わしにはない」

 学僧の二元的見地から、観るものと観られるものであれば見えているものを「仏性」として「ある」です。二元的見地を離れて一元である禅師としては、自身から分離しが何かが自身を観ることはできないので「わしにはない」。

 わざわざ「私=自我・アイデンティティ」の視点で観る必要はないようです。

 

・「もろもろの衆生にも仏性があるというのに、禅師様だけはどうしてないとおしゃるのですか」

 学僧は「私=自我・アイデンティティ」が観ていて「私=自我・アイデンティティ」が衆生を仏性として観ていると思い込んでいます。「本来の自己」があるがままを見れば、あるがまま(=仏性)でしかないので仏性として言われているだけのことだと気づいていません。

 

・「わしはもろもろの衆生ではないからである」

「わしにはない」と答えて時点で、「私=自我・アイデンティティ」の視点での問答ではなく、「本来の自己」として答えているようです。衆生(=私・自我)の視点ではないよ。

 

・「ならば衆生でないなら仏ですか」「わしは仏でもない」

 お前さん(=学僧)の考えている「仏」の概念なんて知りはしない。わし(=禅師)はお前さん(=学僧)の言っている「仏」ではないよ。

 

・「ならば一体どんな物ですか」「物でもない」

 学僧は、こんどは「物」として掴んだり触れたり得たりしようとしています。

人間の「知りたい病」には呆れ返ってしまったようです。そりゃ「物」にまで貶めたら自分の頭や手で好き勝手に扱えます。馬鹿馬鹿しい頭脳ゲームとなってしまったようです。

 

・「見たり考えたりすることはできますか」「考えることも議論することもできぬ」

 遂に人間の「知りたい病」の本性が丸出しとなってしまいました。ここに至っても気づかないのが人間のようです。「見せて」説明してください。「考える」対象として現前させてください。どうしても「知りたい」・・・。

 禅師はまだつきあってくれています。「考えることも議論することもできぬ」

もうあなたの「知りたい病」に気づきなさい。誰も仏性なんて見えもしないし触れることもできません。ただの概念。仏も如来も解脱も輪廻も魂も心もだれもそんな実体を観ることなんてできはしません。議論して暇つぶしをしているだけ。「何もしない(=妄想から離れる)」で見えるまま、聞こえるまま、触れるまま、味わえるままで何の間違いもない現実に戻って来てはどうですかと言っているのでしょうか。

 

 

<注:勝手な個人的な見解の部分がありますので、鵜呑みにせずに実証実験によって確証することをお願いいたします。引用もしくは酷似表現の場合は、タイトル及びアドレスの明記をお願いいたします。>

 




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