老子ー7 [老子]
<自問>
我々人間は束縛されて不自由な生き物なのか。
何故人間だけが人生の意味や価値がなくてはならないのか。
沼地で餌を採っている水鳥に自由はあるのか。
水鳥は誰かや何かに拘束されているのか。
水鳥の一生に意味や価値はあるのか。(人間以外の命ある一切について検討してみる)
水鳥が意味や価値を求めて生きなければならないのか。
人間という動物だけが意味や価値を必要とされるのか。
牢獄に入っている人が終日に渡って手足を拘束されているのか。
物理的に拘束されている人はいるのか。
家にいても、牢獄にいるように感じていれば牢獄と同じか。
精神的に拘束されていれば自由ではないのか。
私たちは管理されストレスの中で生きているのか。
ストレスから物理的に抜け出せば精神的にも抜け出せるのか。
宗教というのは抜け穴・近道なのか。
教えや指導者に導かれなければストレスから抜けだせないのか。
遊びで動物を虐待するハンティングは許されるのか。
何かをすることが人生なのか。
何でもかんでも知ったり、思考で問題を解決することが人生なのか。
一番の贅沢は「何もしない」ことなのか。
誰もいない南国のリゾートで「何かをすること」よりただ寛ぐほうが贅沢なのか。
最高の幸せは何も囚われずにある。
自由を得るのか、自由でいることはできないのか。
夢(=目標)がないと人生はつまらないのか。
人間は「何もしなくても」幸せなのか。
犬がのべつ膜なく吠えてばかりいては嫌がられるのに、人間は話し続けても嫌われないのか。
人間のお喋りを一日中聞かされる動物は人間を不思議な動物だと認識しているのか。
頭の中でお喋りし続けているのは人間だけなのだろうか。
人間は暇と金があると旅行したりゲームに興じているだけなのに、人生の価値や意味などあるのだろうか。
ゲームがなくなることなどあるだろうか。
暇つぶしのために生きているのではないだろうか。
人生もゲームなのだろうか。
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第七章
天長地久、天地所以能長且久者、以其不自生、故能長生。是以聖人、後其身而身先、外其身而身存。非以其無私耶故能成其私。
天(=君主)も長く地(=人民)も久しく続いてきたしこれからも永遠に続く。長くかつ久しいというのは、天(=君主)も地(=人民)も自らが自らの生を決めることができないからです。生まれによって決められているので、長きにわたって続くことができているのです。
政治を行う君主たるものは、自らを後(=前面にせず)にすることで先頭に立っていることになり、自分のことには拘わらないことで自身の存在が機能する。私心によって治世することがなければ、自ずから治世が為される。
当時の人が見てきた世界では、君主も人民も世代交代しながら生きながらえている。君主と人民という構図が壊れない限りこの関係は続いていく。
当時は君主を庶民の投票によって選ぶ民主主義など思いもつかないことだった。これから数千年後の社会制度など誰にも想像できません。統治する君主がいて、君主に従って生きざるをえない人民という関係は永遠に続くと考えていたかも知れません。
君主も人民も自らが勝手に君主や人民を選べるわけではなく、生まれによって君主は君主として人民は人民として長きに渡って続いくことができている。
真なる君主(=聖人)であれば、現在の身分を気にすることがなくても君主として認められている。身分を気にしなくても、自身の生まれによって存在が確立されている。私心をもって統治することをしなくても、自身の思いは人民が聞き入れることになっている。
長:長い、永遠。自らが長短を決めて長くできることなのか。
久:古くからあり時間が長い。自からが決められず結果としての長さなのか。
<注:勝手な個人的な見解の部分がありますので、鵜呑みにせずに実証実験によって確証することをお願いいたします。引用もしくは酷似表現の場合は、タイトル及びアドレスの明記をお願いいたします。>