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Tell me why [気づき]


youtubeで”Tell me why”という曲を見つけましたのでご紹介させていただきます。





 生命体(=生き物)の本能は生存・繁殖です。生命体として生き残るには「戦うか逃げるかの反応」が自動的に行わなければなりません。脳内のホルモンが勝手に分泌して行動するようになっています。多くの餌を獲得することができ、繁殖力が旺盛である必要があります。我々は生き残れる素養が備わっていたからこそ今ここに生存しています。私達が目にすることができる個体は、生き残る術を身につけた個体だということが言えます。

 木々や花々や昆虫・・・あらゆる生命体が生存競争に打ち勝って存在しています。全ての生命体が生存競争の末に存在しています。この生命体(=自身)と他の生命体を愛おしく感じることができます。

 一人の人間が寿命をするのにどれだけの生命体からの恩恵を受けることになるのでしょうか。生まれてから今までに、数え切れないほどの生命体が自身の身体の中に入って(=水・酸素・窒素・肉・植物・・)きたのでしょうか。接してきた一切がエネルギーに変換されてきました。私達は地球にある物質を取り入れているので、地球の合成物だと言うことができるのではないでしょうか。自分で身体を作ったのではなく、周りから作られたモノです。

 

 原始の生命体は、膜に囲まれてその中に一本の筒があって、その筒の入口(=口)から食料を取り入れエネルギーに変換し、使えないものを出口(=肛門)から排出する。個体の行動を制御する神経が集まり脳となり、出口に近い筒から腸ができ更にエネルギーを効率的にするために腸から様々な臓器ができたのでしょうか。

 所詮、人間も生命体であって食って寝て(=脳の休息機能)動いて排泄しているだけのものです。高尚なことを言う前に、機能としての肉体を直視する必要があります。人間以上の何かになることなどできません。

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 人間の欲求には「食欲・性欲・睡眠欲(脳の機能)」さらに、承認欲求または知識欲求があるそうです。欲求は満たされればおさまるのですが、欲望はいつまでも火種となって燃えています。マズローは生理的欲求・安全欲求・社会的欲求・承認欲求・自己実現欲求という5段階説を提唱しました。”Tell me why”とは、知っていたいという欲求から出る言葉です。現実がどうしてこうのようになっているのか、誰も説明できる人はいません。因縁和合して現実があるだけで、ブラックボックスになっています。

 「どうして」を探求しているうちに人生は終わってしまいます。「無駄な探求」と言っているのに、一生をかけて探求している人もいます。たった今を生きているということが素晴らしいのであって、何が起こっても不思議ではありません。苦と言ったり楽と言っているだけのことで、起こっていることを否定したり坑がなったりしてもしょうがありません。

 

 愛と憎しみはコインの表裏です。信頼と裏切りもコインの表裏です。裏切る人がいるおかげで信頼されることができます。不味い料理のおかげで美味しいということがわかります。闇があるのではなく、光の不在が闇です。愛や憎しみなんてどうでもいいというのが最高に愛に満ち溢れているかもしれません。迷いも悟りもどうでもよければそれが涅槃ではなでしょうか。

 悟りの境地に52段階あるとか、探したり得たりする対象としてしまいます。ただ見えている、ただ聞こえているということにどんな違いもありません。お釈迦様が桜をただ見えているのと、凡人が桜をただ見えているのにどんな違いがあるというのでしょうか。ただ見えていることに違いはないのですが、頭を働かせて雑念との鬼ごっこに振り回されているだけが違うかもしれません。考える癖がいつまでも残っているかいないか。考えてもどうしようもないと分かっているか、考えればなんとかなるとしているかの違いかもしれません。

 極端な話しですが、”Tell me why”と誰かに聞いて知ったとしても、行動しなければなにもなりません。立派な言葉や美辞麗句を言っている教えがあるのに、世界から争いが絶えることがなにのはどうしてでしょうか。行動しない役にたたない教えだからかもしれません。立派な服を身にまとった聖者は口ではもっともなことを言いますが、何も行動には移さないということが白日の下になっています。

 人間が行動するのは生存欲によっているからです。誰もが「自分かわいい」のですから、自己の生存を第一に考えて行動することになります。

 戦争を主導している人物が為政者だと分かっていても、生存(=生活)のために従ってしまっています。独裁国家では幼少期から洗脳されて「神」と崇めさせられているかもしれません。

 

 私達はどうしても知識を得て、思考してなにかを得るという思考パターンから抜け出ることができません。なるほど知っていないよりは知っていたほうがいいかもしれません。困ったことに、世間では教えと財産を交換させるような宗教もあります。教えを信じて布教している人は悪いとは思っていない(=自己正当化)ようです。財産よりは教えのほうが価値があると思い込んでいます。教えで救われてご飯が食べられるのは、教えを受ける人から金品をもらえる人だけです。

 思考で何かを得ようとすることをやてみる。(坐禅)なんとかしたいという欲求を相手にしない。あるがままでいいということが少しずつ分かってきます。足し算(=得る)から引き算(=相手にしない)することで、頭のおしゃべりが減っていきます。見えたままが何一つ過不足がないことに気づきます。なんとかしようという自分との関わりが後退したということかもしれません。

 言葉自体に力があるのではなく、言葉を聞いたり文字を見て行動しなければなりません。当たり前の話ですた、スポーツ選手がコーチの言葉を聞いただけで技ができるようになったりはしません。何度も何度も繰り返し練習して技を覚えて使えるようになります。このブログを単なる知識としていては、何も変わりません。文字を見ただけで劇的に変化したら大変なことです。怖くて文字を見ることができません。ヴィパッサナー瞑想を本当に実践すれば効果を実感することができるのですが・・・・。

 

・あるがままをそのままに受け入れる。神も仏もどうでもいいというのが最高の信仰かもしれません。

・言葉で世界が変わるのなら、とっくに世界は変わっています。

・世界の現象を誰かが仕組んでいるのではなく、因縁和合して起こっているだけです。

・天国と地獄は同居しています。野球で9裏満塁、2アウト2ストライク3ボールで3点差で勝っていたのに、最後に逆転サヨナラホームランを打たれたら天国から地獄となります。

 仮想通貨長者だと思っていたのが、仮想通貨取引所が経営破綻して財産が全て消えてしまった。

 

<注:勝手な個人的な見解の部分がありますので、鵜呑みにせずに実証実験によって確証することをお願いいたします。引用もしくは酷似表現の場合は、タイトル及びアドレスの明記をお願いいたします。>


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風船かずら

Tell me why 心にしみます。共有させていただきたいと思います。
気づくということ、関心のある問題なのでゆっくり読ませていただきたいと思います。長文なので細かい文字、私にはちょっと骨がおれそうです。

by 風船かずら (2022-11-21 09:55) 

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