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答えは無限にある [気づき]

 日本語がチンプンカンプンな外国人に日本語で「いちたすいちは」と問いかけても何を言っているのかサッパリ分かりません。数式で”1+1=”と書いたものを見せれば”2”という数字を書いてくれるかも知れません。皆が同意しているある特定の決まり(10進法)だという思い込みで答えます。答えが出るというのは、特定の決まりによって導き出されるということになります。

 1というのはただの概念であり1はどこにも存在していません。何かを勝手に1としているだけです。手も1、指も1、爪も1、身体も1、臓器も1、神経細胞も1、ウィルスも1,宇宙も1、素粒子も1・・・、極大から極小までなんでもかんでも人間の作り出した概念で1と定義できます。あらゆるものが1と定義できるので1とされるのは無限です。本当の1はどこにもないと言えるし、どれもこれも1となりえます。

 1+1=10(2進法)1+1=200(1を1cm,200はmmで答えました)1+1=1(水に水を加えても1)1+1=0(水+熱=目に見えない蒸気となった)1+1の答えは無限にあります。1の定義によって無限の答えが見出されます。

 

 例えば、演奏に真の演奏(=正解・真の答え)があるでしょうか。バロック音楽で当時の貴族の前でのある瞬間の演奏が真実の演奏であれば、それ以外の演奏は真の演奏ではなく永遠に真の演奏は無いということになります。全ての事象は生滅していて一期一会であって、二度と同じことなど起こりえません。タイムトラベルなど馬鹿げた妄想かもしれません。同時に多次元に宇宙が存在しているという仮説を作って頭の中で妄想することはできます。あるのは”今”という刹那の瞬間が永遠に生滅しているだけではないでしょうか。つい直前の”今”はどこにもありません、誰も保存することはできません。つい直前の”今”に出会うことが出来るのなら”止まっている”以外ありません。完全に”止まっている”というのなら素粒子も止まっているということになります。部分的な絶対零度の状態があったとしても全体の中にある限り全体が新たな”たった今”と変化変容しているので特定の部分の静止(=絶対零度)は見られて(=観察されて)いるのでつい直前の”今”は観察者の存在によって、観察者の”今”ということになります。真なる答えは観察者に依存することではないでしょうか。

 1+1の答えは観察者(=ある前提によって導く)によって無限にあります。ある前提を共通にすれば、共通の視点をもった観察者によって共通の答えが導き出されます。10進法で答えるという前提の観察者の答えは2という同じ答えとなります。10進法を知らない人間以外の生命体には2と答えることはできません。

 

 野球で誰がどの打順で打つべきかという正解があるでしょうか。どんな投手が出てどんな打撃をするか分かったらおもしろくもなんともありません。何が起こるかわからないのでワクワクして観戦できます。勝利したら正解であり敗戦では間違いだということでしょうか。

 この世で正解の人生・正解の景色・正解の音というものがあるのでしょうか。それぞれの人の好みであって、だれにとっても正解というわけではありません。感受される現象が起こっていて、ただそのように生滅しているだけで、ただなるようになっているだけなのですが・・・。

 何が正解なのかは、受け取る人の感性で決まるのではないでしょうか。今起こっている現象が正解でないとしたら、何が正解でありどうやって正解にすることができるのでしょうか。今起こっている現象を変えられたら大変なことです。私達ができるのはせいぜい、勝手な妄想や手足や口を動かせる程度のことなのですが・・・。

 

・人はある共通のもの(=数式、楽譜、図面・・・)を拠り所としなければ同じ答えを導き出すことはできません。

・たった一つの同じ答えというのは、無限の答えの中の一つであって無に等しく決めごとで導かれた味気ないものかもしれません。

・条件を持ち出さなかったら、無限の答えがあるということです。無限の選択肢の中の一つの答えが展開されています。

・無限の答えは一致することはありません。一致するとしたら”空・無”であり、生じていないのですから”不生”です。

・この世に出現したことも偶然であり、偶然の生を生きている人にどんな答えが割り振られているのでしょうか。偶然の産物に必然の答えがあるなんて・・・。肉体的な”死”は必然ですが・・。

・無限の可能性(=選択)があるのに、たった一つの可能性(=自身で正解としているもの)だけを目指し(=何とかしよう)て悩んでいることは異常(無限の中からたった一つに固執)なことかもしれません。

・起こっている事象は事実という有様(=実相)であって、そのままの事実なのですが・・。このありのままの事実を受け入れられないのは、事実が異常なのでしょうかそれとも事実として受け入れられないということが異常なのでしょうか。

 

 

<注:勝手な個人的な見解の部分がありますので、鵜呑みにせずに実証実験によって確証することをお願いいたします。引用もしくは酷似表現の場合は、タイトル及びアドレスの明記をお願いいたします。>




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