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老子ー37 [老子]

道常無爲、而無不爲。侯王若能守之、萬物將自化。化而欲作、吾將鎭之以無名之樸。無名之樸、夫亦將無欲。不欲以靜、天下將自定。


 道は常に人為とは無関係の働きです。しかも何かが為されるということことも無い。諸侯や王が道の道理を心得ていれば、万物は自然に変化していることを目にする。変化して欲しいと願えば、名づけることのできない本質に委ねる他ない。名づけることのできない本質は、無欲においてである。欲心を持たず静かであれば、天下は自ずと平定されるでしょう。

 

樸:本質、ありのまま

 

<他の翻訳例>

 「道」はつねに何事もしない。だが、それによってなされたにことはない。もし諸侯や国王たちがそれを保持したならば、あらゆる物は自然に変形するであろう。変形した物たちが頭をもたげようとしたら、われわれは「名づけられない樸」の重みで抑制すべきである。「名づけられない樸」は、やはり欲望のない状態をもたらす。欲望を断って静かならば、天下は自然に安らかになるであろう。

「世界の名著 小川環樹 訳 中央公論社」小川環樹:京都大学名誉教授 中国文学者

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意思:行動のもとになる考えや意見。

意志:実行する能力・行動をとることを決め、かつそれを生起させ、持続させる心的機能。物事をなしとげようとする、積極的な心の状態。

 

 生きているということは即今(=たった今)が続き、過去は”過去”というただの言葉だけであり消え去ってしまっている。未来は”未来”というただの言葉であるでもなく無いでもない。出会っているのは常に即今(=たった今)であって未来に出会っているわけではない。もし過去や未来がどこかに有るのであれば掴んだり得たりできるかもしれないがそんなことはできない。即今を振り返った時に、振り返る主体としての”わたし”を持ち出す必要があります。その”わたし”は記憶・経験と言語が結びつき、思いという何かを掴んだような気になります。思いは、色・味・匂い・感覚はありません。頭の中で自らの言語で思いを追っかけて言語化しておしゃべりしています。思いを追いかけたり言葉にしたり文字にすることで存在しているかのように勘違いします。思いはどこから湧き出てどこに残るのでしょうか。頭の中で組み合わせた言葉を発したり文字にすることができるので実在しているかのように扱ってしまいます。

 ”思い”は無色透明なのですが”思い”が最後の最後に現れて”わたし”が気づきます。思い(=言語)が消えていないと感じ、”思い”が自分だと勘違いしてしまいます。思いがなくても自身(=存在)は在ります。「我思う故に我あり」

 大雑把ですが、道(=道理・働き)・元素・存在・水・有機物・熱・細胞・分裂・進化・管・神経・臓器・脳・五感・感情・言語・わたし・思い・分別という順番ではないかと思っています。最後(=分別)が常に一番最新で全てなので、分別が全てだとされるのは当然のことです。”わたし”という言語がなければ”わたし”は存在しません。”わたし”という言語を使って”わたし”が出現しています。”わたし”という言語のない生命体は、現象からの感覚・感情のままに反応して生命維持を行っているだけではないでしょうか。動物に”わたし”がなくても何も不都合はありません。人間だけが、”わたし”という言葉によって自身が全体と分離した”主体”だとしています。見る者(=主体)と見られるモノ(=客体)と分けて見ることにしています。”わたし”があろうがなかろうが五感で自動的に感受されています。”わたし”は感受したことを分別している”主体”であると勘違いしているかもしれません。

 

 私たちの脳は臓器が効率よく連携し集中管理する役割があり、様々な入力デバイス(=目・耳・鼻・舌・皮膚)から情報が入力されソフトウェア(=なんらかのアルゴリズム)で処理されているようです。情報は頭蓋骨の中に納まった闇の中にあり、神経細胞によって存在・音・匂い・味・感覚として認識されるようです。存在はまさに脳内で展開されていて、目蓋を閉じれば存在は映し出されません。

 脳は身体がなるべく心地よく生存できるように手助けする機能なのでしょうか。身体のために脳があるのであって脳のために身体があるわけではありません。脳は身体の一部であって、身体が脳に従っているのではありません。どうしても一番最後で最新の状況を把握しているのが脳なので、脳が主体のように感じられます。

 身体や臓器の働きが先にあり、その情報を脳に伝えて脳が認識して最適に働くようにしているというのが理にかなった脳の働きではないでしょうか。脳が臓器を常に監視して不都合なことが起って修復するよう逐一命令するのであれば、脳の負担は大変なものです。

 身体のメッセージを脳が中継したり最適化する時に、脳のソフトウェア(=意識)の気づきがあり記憶・経験と思考によって”なんとかしよう”という意志が働くかもしれません。この意志を”自由意志”と言っているようですが、すでに脳はどうすべきかを身体に指示を与えているはずです。もし、思考によって身体の臓器に指示を与えることができるなら大変な事が起こります。ふと心臓が止まれと思ったり、腎臓の働きを加速させよとか腸の動きは後5分後からとか・・・。たかが思考(=頭の中のおしゃべり)にそんなことができるわけがありません。

 脳の為に身体があるわけではなく、生命の保持のためにできてきた臓器の一つが脳。脳は身体の一部であり身体とあいまって働いているということではないでしょうか。脳が行動を逐一微細に指示したり脳が思考しているとしたら大変なことです。思考は言葉を追いかけている行為ではないでしょうか。脳自体が思考しているのではなく、思い浮かぶ言葉が繋がれているただの現象かも知れません。

 何気ない身体の動きを脳がどのように逐一指示しているのでしょうか。また、脳が見ようとしたり聞こうとしたり味わおうとしているわけではありません。脳が聴いているのではなく空気中の振動を音として認識しています。脳が現象をコントロールして感受しているわけではありません。脳が意図して感受しているのではなく、意図しなくても(=無為)感受されています。

 

 ”道”(=道理・働き)は、人間の意図とは無関係な宇宙的な道理であり働きのようです。当然ですが、私たちは自分の目線より高くにあるものは見上げて見るだけで、見下ろしたらどうなっているか分かりません。また見えている裏側見ることはできません。立体で見えているようですが、立体の一部が見えているだけです。当然ですが、自身の五感に感受されていることだけが全てです。

 今ここ以外は見ることもできません、今此処以外の空気も吸うことはできません。今此処以外のモノに触れることはできません、遠くの話し声も聞くことはできません。今此処で起っている現象だけが五感の感受能力の範囲で感受されます。自身の身の周りで起っていることだけが分かるのであってそれ以外は想像だということではないでしょうか。何が言いたいのかというと、私たちが話している殆どが頭の中の想像(=イメージ)であって今此処の現実のことを題材にしていないということです。

 相手から聞こえてくる言葉や見ている文字は現実の音(=言葉)であったり形(=文字)ですが、それはイメージを音(=言葉)としたり形(=文字)として表現したものです。あくまでも相手の頭の中にあるイメージを具現化したもので眼前の現実ではないイメージの受け渡しということです。

 

 意志がどうであれ、どうのように行動したかによって他人に評価されます。その評価も人間だけです。狭い人間関係の中でどのように評価されどのように言われたかを考えるだけのことで、その考えにとらわれなければ大したことではありません。他人の内心がどうなっているかなど分かりません、内心が同じである人もいません一念三千です。何故それほどまでに気に掛けるのでしょうか?思いで何かを掴んだり得たり何者かになるわけではありません。

 

 損得・善悪・美醜というのは、結果に対して人間が言葉(=概念)を割り振っただけであって決まったものではありません。ある時代である状況で判断されたことです。自身の意志で悪となったのではなく、周りが悪としたまでのことです。ある国の国益が善であっても他国では悪と捉えられます。

 大金持ちだといっても、あくまでも人間の社会的な決まりごとです。猫や犬は誰が金持ちなのかサッパリ分かりません。”自由意志”がどうのこうの議論がありますが、右足が先か左足が先かのどちらを選んでも大した差はありません。ラーメンかカレーのどちらを選択しても、自由意志を持ち出すようなことではないのですが・・・。ただの思いを扱っているだけで、自由に考えられるのでそれでいいのではないでしょうか。脳が大事な決定をしているとかしていないとか気にするようなことでもないように思われます。誰が何を思っても自由です。

 ”もし”◯◯していたらと考えるのは自由ですが、時間を遡って思いに振り回されるだけです。現実は瞬間瞬間に移り変わって過去はどこにもありません。

 

<まとめ>

 自由意志があるとしたら、自身で選択したことに全責任があり一喜一憂することになります。たいした選択でもないことに対して思い悩んだり喜んだり悔やんだりするだけのことです。

 自由意志がないとしたら、あるがままをそのままに受け入れて今を生きていけばいいだけのことのようです。

 老子は人為(=自由意志)を使ってはからい悩むよりも、道(=道理・働き)に任せておけばいいということでしょうか。

 

<注:勝手な個人的な見解の部分がありますので、鵜呑みにせずに実証実験によって確証することをお願いいたします。引用もしくは酷似表現の場合は、タイトル及びアドレスの明記をお願いいたします。>


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