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「意識された現実」という幻覚 [TED]

TEDに『脳が「意識された現実」という幻覚を作り出す仕組み』というのがありました。

 

 今現在、生きている生命は絶滅を免れて生き残った最強な生命のようです。環境の変化に適応し、遺伝子が途絶えることなく繋がっています。生き続けたいという生命が生きているのですから、生まれた瞬間から死にたくない(=生き続けたい)ということのようです。”なぜ生きる・なぜ生きたい”と自問しますが、子孫を残し生きたいと願う生命だけが今ここに生きています。何としても生きていたい生命として生まれたのですから、”生きたい”という本能が引き継がれています。”何故生きなければ”・”何のために生きる”と問うても、答えは生命に宿っているこの事実が物語っています。

 

<01:14意識がなければ世界も自分も何も存在しない。>

 私たちは、”私が存在しなくても”世界は存在していると確信しているようです。毎日眠りから目覚め、周りを見回せば普段と変わらぬ世界があります。”世界はあり続けている”というふうに思い込む(=観念となる)のも無理はありません。しかし、認識主体が消え去ったらどうして存在があると分かり証明できるのでしょうか。”死”によって存在は無くなって(=存在を認める主体が消え去る)しまいます。存在は生命体の意識によって存在と認識されることによって存在と認められます。

 例えば、誰かに聞かされたブラジルの”サントスさん”は存在しているでしょうか。私たちが認識できなければ存在しているとは断定できません。もし、ブラジルの”サントスさん”が私たちを認識せずに死んだら、”サントスさん”にとって私たちは存在していたと言えるでしょうか。

 もっと身近なことで検証してみましょう。散歩している時にある家の玄関先に「忌中」と書いた札を見たとします。生前から面識もなくどんな人かも全く分かりません。見ている自分と、死んでしまった人のそれぞれに互いの存在はありません。一度も認識できなければただの思い込み(=幻覚)だと言われても否定できません。

 

<04:19頭蓋骨の中には光はありません音もありません。唯一利用できる電気的インパルスに頼らざるを得ないのですが、何であれ世界の事物とは間接的に関わっているにすぎません。ですから何がそこにあるかを知るという「知覚」は情報に基づく推測の過程にならざるを得ません>

 生命が存在・存続できるには、水とエネルギーと炭素・水素・酸素などの物質が欠かせません。生命はエネルギーを摂取するためにエネルギー源にいち早く近づき、また自身の身を危うくさせる事象から速やかに逃れなくてはなりません。神経系が未発達な生命体は、原始的な感覚で感知するしかありません。好環境に近づいたり危険から離れなくてはなりません。高度に進化できたのは、環境の変化に順応できる能力を獲得できたからかもしれません。生命の存続のためには、リスク(=リスクの推測)を分散しなくてはなりません。多様なエネルギー源からエネルギーを摂取する方が有利です。どんな食物でも消化する臓器とエネルギーを蓄える臓器が発達したと考えられます。ざまざまな感覚器官の中で、耳は陸上の空気があることで必要とされたのでしょうか。音を意味のある音として感知する機能は後から発達したのかもしれません。寝てても聴覚や臭覚は働いているようです。

 私たちは危険なモノに触れて手遅れになる前に、予め推測することが優れていると知っています。神経細胞の集積された脳の役割は、自ら神経細胞の数を増やすことだったかもしれません。それには多くのエネルギーが必要とされ、多くのエネルギー源からエネルギーを摂取しなければなりません。

 多様なモノから効率的(=熱で調理)にエネルギー摂取できたからこそ脳が発達したのかもしれません。

 

 存在は様々な刺激(=熱・音・光・温度・圧力・流れ・振動・・)に満ちあふれています。太陽・水・空気・有機物・・・の類まれな条件によって生命のバランスが保たれています。脳の進化によって神経細胞が増加することで明暗から白黒のモザイクさらにカラーの精細な画像として存在を認識できるようになっています。さらに3次元の画像や音がある世界として認識しています。

 脳は五感から入力される情報を最適な推測によって生命の維持に役立とうとしています。

 空気中を伝わるただの振動を意味のある言語として認識するように努めています。光を反射している電磁波を意味のある色や形として認識するように努めています。勝手に意味のある世界に変換しているのが脳の働きです。存在に意味があるのではなく、意味のある存在として感じなければいけない脳の働きがあるということなのでしょうか。脳にエネルギーの供給があり脳が働く限りは、存在に意味があるかのように推測しているということでしょうか。

 

<08:12実際には私たちは皆ずっと幻覚を見続けているんです。今ここでもです幻覚について一同が合意している時それを「現実」と呼ぶんです>

 プラナリアが接している世界、鷹が接している世界、ウサギが接している世界、70億の人が接している世界・・・。それぞれの個体が接している世界は一つであり、どんな個体が接していてもまったく同じ反応でしょうか。酷暑の砂漠で生きている個体が感じる太陽と酷寒の山で生きている個体が感じる太陽は同じでしょうか。雲も風も水も匂いも音も味も・・・それぞれの個体に依存して認識されているのではないでしょうか。同じ音楽(=音の振動)であっても心地よく癒やされる個体もあれば身の危険を感じる個体もあります。同じ個体であっても状況によって異なることもあります。存在も無常であり瞬間瞬間変化してその時限りの一期一会です。感受される情報も無常、感受しているモノも無常です。脳の推測も変化しています。

 個々に感受しているのが異なるということは世界は個体の数だけあるということになります。同じ世界ではないにもかかわらず同じとしているのは、個々の見ている世界が真の世界ではなく単に合意された”幻覚”ということ。  個々に認識している世界は個々の脳が推測した”個々の真の世界”です。(参照:一水四見)自身と異なる世界を”真の世界”だと主張している”世界”を真だと認められない限りは、自身以外の個体の推測している世界は”幻覚”となります。個々の個体が他の個体の推測している世界をそのままに知覚できない限り、他の個体が知覚している世界を”幻覚”と言っても何ら不都合はありません。自身の見ている世界と他人の見ている世界もだいたい同じだと社会的な合意によって「現実」ということにしているだけのことかもしれません。

 

意識:自分が現在何をやっているか、今はどんな状況なのかなどが自分でわかる、心の働き。

心:知識・感情・意志などの精神的な働きのもとになると見られているもの。また、その働き。

 

<注:勝手な個人的な見解の部分がありますので、鵜呑みにせずに実証実験によって確証することをお願いいたします。引用もしくは酷似表現の場合は、タイトル及びアドレスの明記をお願いいたします。>


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