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己身 [阿含経]

南伝 相応部経部38-15  阿含経典三巻P108 増谷文雄著 筑摩書房

「友よ、これらの五つの人間を構成する要素が、世尊によって己身と称されるのである。すなわち、色(肉体)という構成要素、受(感覚)という構成要素、想(表象)という構成要素、行(意志)という構成要素、そして、識(意識)という構成要素がそれである。友よ、これらの五つの構成要素が、世尊によって己身と称せられるのである。」

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 人間として生きていることを実感できているのは、”五蘊=色・受・想・行・識”という構成要素が働いているからに他ありません。五感が勝手に感受し、意も勝手に働いています。”私”というものがあって働かせているのではないようです。あらゆる存在があるのは、存在を認識できている私達がいるからです。私達の認識がなければ存在は存在とはなりません。

 私達がいなくても存在はあり、これからもあり続けるというのは単なる思い込んでいる(=観念)かもしれません。もし認識する自身(=主体)が死んだら、存在(=客体)をどうやって確かめることができるのでしょうか。存在があって後から我々が認識することで存在を確証しているのではなく、我々が先にあって存在を直に認識してこそ存在があります。自身の直知の認識のない存在は、頭の中にある記憶や教え込まれた憶測の存在ということになります。

 ”アメリカ大陸”は、アメリカ大陸が発見され”アメリカ大陸”と命名されたことで広く周知されています。実際にアメリカ大陸の地に足をついてアメリカ大陸を実感した人だけが”アメリカ大陸”の存在を自知できています。自知している人以外は、極端に言えば知識によって”アメリカ大陸”の存在を信じているだけかもしれません。”エベレスト”もあると信じているだけというのが事実ではないでしょうか。何度も写真や動画や知識に刷り込まれると”在る”ということを疑わなくなります。”私”はなんだか知らないのに、だれもが使っている言葉として刷り込まれているので使っているだけのことかもしれません。

 

 ”海”という言葉も聞いたこともなく、”海”の情景も見たことのない人には、”海”は頭の中でもイメージできないので存在していません。人間は、言語を使ってイメージできるという点が他の動物と大きく異なるところです。嘘を何回も言い続ければ真実として信じ込んでしまいます。ヒトラーが証明しました。動物に信じ込ませようとしてもイメージできないので条件反射(=パブロフの犬)によって獲得させる他ありません。

 頭の中で描いているイメージは存在しているだろうという絵空事かもしれません。私達が直下に自知したものだけが確かな存在であり、それ以外は多分存在しているかもしれないという曖昧なものを扱ったいるのではないでしょうか。イメージとして残っているのは、体験した人だけが味わえたその時の”存在”ということになります。この世は無常なので、イメージも都度書き換えなければなりません。数年ぶりに再会した人のイメージは自動的に書き替えているようです。”ユートピア”・”神の国”・”地獄”・・すべて自知できなければ絵空事のイメージだけということになります。

 今この文章をキーボートから入力している人が、どんな身なりでどんな家でどんなパソコンで・・・すべて絵空事であって存在を確認することはできません。つまり本人以外は入力している人の存在を認識できません。入力者の存在は憶測でしかないということです。どう頑張っても、ブログが更新されたので生きていると推測するのが精一杯です。代筆者かもしれませが確証は決して得られません。認識者の認識によって存在があります。

 

 次に名前があるから存在があるという思い込み(=観念)からなかなか抜け出せません。名前によって存在をイメージできるので、名前があれば存在があるかのように思います。事実は、存在が先にあって名前が後です。存在には予めレッテルが貼ってあるわけではなく、人間が好き勝手に命名しているだけのことです。名前を聞いて存在していると思うのは自身の頭のイメージの存在を固く信じている証拠かもしれません。”梅干し”をイメージしただけで唾液がでてくるかもしれません。”梅干し”を知らない外国人が日本人と同じ身体的な反応は起こりません。

 存在があって名がある。この順番が逆になっているので思い違いを見抜くことが難しくなっています。”富士山”という名前を知る前から”富士山”を見ていた人(=例えば静岡・山梨県民)は”あの山が富士山と呼ばれているのか”という感想があるかもしれません。写真や学校で教わり、名前が先で実物の”富士山”が後の人は”富士山と言われていたのがあの山か”という感想かもしれません。名前のイメージが頭に構築されていて、実物よりイメージが先行しています。

 実物を先に認識していた人と、名前が先でイメージが出来上がっている人とは大きく異なります。

 実物(=存在)があるがままにあって名は後からつけられたものです。教育は実物を見ないままに名を覚えてから実物のイメージを構築しています。いかに多くの名前を覚え(=知識)ることが優先されます。

 頭の中でイメージを作り上げ、イメージを操作する能力を訓練することなります。現物を見ないで議論できるようになります。現実からかけ離れた映画やアニメもなんの違和感なく受け入れられます。マントをつけて空を飛んだり、手首から糸を出したり・・・。子供の頃は真似をして楽しんでいましたが・・。

 きっと頭で考えれば現実になるという癖がついているかもしれません。現実は頭で掴むこともできないし得ることも出来ません。真言を何億回唱えることで何者に成ることなどありえません。

 存在を存在のままに見れるか、名(=意味や価値も付随している)で存在を見てしまうかの分かれ目です。アイデンティティなしで見ることできるか、アイデンティティで人を見るか。

 

 ”地獄”という言葉や概念を聞いたこともない赤子に”地獄”が存在するでしょうか。先輩方の勝手な押し付けによって余計なイメージが植え付けられて育ってはいないでしょうか。自らが自知したことでなく、自身(=先輩)が脅された絵空事で自身の子供を脅して言うことを聞かせるために利用していないでしょうか。

 人間はこの絵空事を創造(=イメージ)できるので、文化的な生活が送れるようになっていることも確かです。イメージ力は、役に立つことに使えばいいのですが下手をするとイメージに弄ばれて一生を過ごすことになるかもしれません。必要なときに使えばいいツールですが、現実を顧みず現実の生活を犠牲にしてまで”ユートピア”を目指すのは行き過ぎかもしれません。

 

 今ここで自知できている以外の存在は、多分存在しているだろという憶測であり思い込みかもしれません。鏡の前に”私”がいるというのも憶測であって思い込みです。何かが映し出されている鏡の像があるという事実しかありません。見ている”私”がいると思っていはいないでしょうか。その思いがただの思い込みであって観念です。観念でなく、見ている”私”を誰かが直視しているのなら、「見ている”私”」は見られているので”私”なのでしょうか。

 鏡(=対象)を見ている本体を見ることができれば、”見ている本体”は本体ではなく見られる対象なので”本体”ではありません。本体が本体を見ることはできません。顕微鏡で”ゾウリムシ”を観察している自分を見ることはできません。”ゾウリムシ”と”観察している自分”がダブって見えたら大変なことです。 

 デカルトは「疑いようのない真実」を探求し、「全てを疑っている私の自意識は確かに存在している」それが「我思う、ゆえに我あり」だと言われています。認識している何かを”私”として、その”私”が”思っている”ことによって”私”という存在があるということのようです。”私”を認識しているということは”私”は対象であり、真の”私”ではないことになります。”私”は”私”を知ることはできません。知るべき本体(=主体)がどうして知られる客体(=対象)となりえるのでしょうか。

 思ったときだけ我という感覚があるということは否めません。振り返って思わなければ我という自意識が続いているでしょうか?熟睡時に自意識が働いていて呼びかけに答えるということはありません。”私”という自意識は働きであり、ある出来事(=イベント)がトリガーとなって働くのであって、四六時中働いているわけではないようです。歩行や食事や会話は無意識でできています。右足の筋肉の特定の部位を使い、踵をおおよそ何センチあげて足首を返してどれくらいのスピードでどこで着地してどれくらいの力で地面を押す・・・そんなこと頭で一々命令していたら歩くことはままなりません。ほとんどのことが訓練されて無意識下でできています。

 自意識でやっていることの方がはるかに少ないのではないでしょうか。出来ないので自意識が”なんとかしよう”とするので、その意識が”私”として主役のように思えるかもしれません。

 

概念:物事を言葉で定義して共通の認識

観念:人それぞれの経験や文化や家庭や環境によって抱く個人的な思い

 

<注:勝手な個人的な見解の部分がありますので、鵜呑みにせずに実証実験によって確証することをお願いいたします。引用もしくは酷似表現の場合は、タイトル及びアドレスの明記をお願いいたします。>


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