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事実と言語 [気づき]

 言葉は読んだり聞いたりすることで、その言葉から何らかのイメージをいだきます。頭の中のイメージですから現実のリアルそのモノではありません。「金融(キンユウ)」と聞いて、どこかに存在している「金融」を見たり掴んだりすることができるでしょうか。極端に言えば、現実のリアルなモノと言語はイコールではなく全く異なっています。幼児や外国人に「行政」と言ってもチンプンカンプンです。

 「鉛筆(エンピツ)」と言われた時に抱くイメージの「鉛筆(エンピツ)」と実際に渡されたリアルな「鉛筆(エンピツ)」とはイコールではありません。長さ・硬さ・色合い・先端の形・・・実際の「鉛筆(エンピツ)」はその時のリアルな実物を手に取ってみたそのものしか存在しません。

 実際のモノ・事象・現象・・等々と言語はイコールではなく、言語は大まかで適当でいい加減な代替される表象でしかありません。

 普段の会話での話し手は自分が理解しているイメージを言葉(=音)にして、聞き手は自分の解釈でのイメージで受け取っています。リアルなモノを受け取っているのではないので、全ては受け取っている人の勝手なイメージとなります。

 

 モノ・事象・現象・・・に名前が割り振られ、その名前を当然のこととして受け入れざるを得ない環境に生きています。リアルなモノ・事象・現象・・・と名前とは何の関係もなくどんな名前でもいいということです。世界には6900の言語があるのですから同じモノでも6900通りの呼び名があるかもしれません。

 一つ一つのリアルなモノ・事象・現象を言葉で説明できるでしょうか。試しに「土」を「土」という言葉を使わずに説明できるでしょうか。手を叩いた”音”を説明できるでしょうか。”雨音”を説明できるでしょうか。一切は説明できないモノ・事象・現象であり、見聞覚知しているあるがままが変化変容しています。

 リアルな事実と言葉はイコールではなく人間の約束事でしかありません。事実が先なのに、思考が主役としえ祭り上げられているので、言葉の方が重要視されているのではないでしょうか。

 リアルな現実ではない言葉に振り回されてい苦悩しているということに気づかなければなりません。

 「心」を探しても見つかりません、探そうとしている働きそのものが「それ」です。眼は眼を見ることができません。見るものは見られるものであって分離させることはできません。

 「月を指す指」というお話があります。月を見てほしいのに指を見てしまう。言葉ではないところに気づいてほしいのに言葉の意味を捉えようと一生懸命になってしまいます。

 

 「私」がいないというのを「私」が確認したい。確認しようとしている「私」がいる限り、「私」がいなくなることはありません。もともと存在しない単なるイメージなので、ないものは消す必要はなくなかったと気づけばいいだけのことです。「思考」を「思考」で消すことはできません。火を火では消せません。水で水を蒸発させることはできません。騒音を騒音で鎮めることはできません。

 

「野鴨」という公案があります。

 一切は「リアルなたった今」であり、自己の内に起こっている事です。認識している「あれ」も「これ」も全てが自己そのものであり、言葉にする以前の「リアルなたった今」が展開されています。

 眼の前には百丈がいるのに、眼の前にいない「野鴨」が飛んでいったイメージで答えました。事実とイメージのどちらで生きているのか。鼻をつねられて実感します。

「野鴨と自分という分別を越えたところ」という解説がありますが、越えるのではなく分別以前の「リアルなたった今」(=考える以前)をそのままに感受すること。

 感受している一切は他のどこかでもなく他人の感覚でもありません。自己の感受そのものに外も内もありません。見えている何かがあるだけで、見ている自分はどこにもいません。何かが見ているはずであるという思い込みで自分という主体があってしかるべきとの思い込み。私は見ているという思いによって作り出されています。夢を見ている自分がいるのなら、夢の途中で目覚めるようにしてみてください。意識不明のときに自分はどこにいるのでしょうか。

外(=対象)と内(=主体)とに分けて考える癖があるだけです。

 何かを理解したり、何かが向こうからやってきて素晴らしい心境になったら大変なことです。

 考えることで、”何とかして”寂静でありたいということは実現しません。何故なら”何とかして”が静寂を乱し混乱・葛藤を起こしているからです。

 

・モノ・事象・現象にあらかじめレッテルは貼られてはいません。

・言葉で分離分割した世界が構築されているかのようですが、そもそも境界もなく分離分割されてはいません。境界も分離も人間の都合で決めています。

・「リアルなたった今」の刹那が永遠に続いていて、刹那は滅しているのて過去はどこを探してもありません。

・「リアルなたった今」には何も問題はありません。

・「リアルなたった今」という事実以外に、頭の中であれこれと分別して問題を作り出しています。

・妄想だと気づいて、取り合わずに観察する。

・ネタがばれたら手品は手品でなくなります。妄想だと気づかれたら妄想は妄想でなくなります。

 

 

<注:勝手な個人的な見解の部分がありますので、鵜呑みにせずに実証実験によって確証することをお願いいたします。引用もしくは酷似表現の場合は、タイトル及びアドレスの明記をお願いいたします。>


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