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追尋しない [気づき]

 私達が直面している事実・現実は生滅している「たった今」の連続です。「たった今」は獲得する対象でもないし、掴めるようなモノでもありません。得ることもできないし掴むこともできません。誰もが平等に「たった今」と同期して存在しています。誰もが生滅しているということになります。「たった今」は有るようでありません。(非有非無)

 「たった今」に何かが入り込む余地もなく「たった今」から何かを取り出すこともできません。過去や未来は頭の中のただの概念です。過去は記憶でしかなく、「未来」がどこかにあるわけでもありません。「未来」に出会うのではなく、未来のいつかも「たった今」です。時間は分け与えることもできないしどこからか取ってくることもできません。「たった今」が永遠に続いています。

 すでに消え去ってしまい変更することのできない過去を悔やんだり、どうなるか分かりもしない未来にとらわれて悩んではいないでしょうか。過去や未来に振り回されて一度きりの「たった今」を生きることができなければどうなるでしょうか。過去の「たった今」も未来の「たった今」をちゃんと生きたという実感がないままに時が過ぎさることになります。

 自分が「正しい」と思っていても他人にとっては「間違い」かもしれません。自分が「間違い」を分かっていながら「間違い」を押し通そうとします。二元対立的に分別して思いのとおりにしようとする、我の働き(”何とかしよう・どうにかしよう”)が混乱・葛藤という悩みの原因ではないでしょうか。私達の癖として、「悩み」を思考で解決しようとします。思考は必要な時に使えばいいのですが、なんでもかんでも思考で解決できるという思い込みから離れられないのではないでしょうか。

 思考で解決できないから思考し続けてはいないでしょうか。一切は変化・変化・・の連続であり思いの通りにはなりません。あらゆる事象は因縁生起しています。因も変化し続け、どんな縁があるのか誰にも分かりません。

 

 思考してしまう癖から一旦離れるのがマインドフルネスです。”何とかしよう・なんとかしたい・どうにかしよう”という思いをそのまま放ったらかしにする体験をします。我の働きですが、追い回さなければ消えていきます。思いを追尋しない。追尋すれば蟻地獄の中に自らが進んで入るようなものです。

 思いを追い回して疲れ果ててしまいます。”なんとかしよう”として自らを苦しめることになります。庭をいじったり趣味に没頭しているときには、思いを追いかけてはいません。思考を追いかけていな時間を振り返ってみると、とらわれのない安楽な時を過ごしたと気づくことがあるかもしれません。個人的な問題は、考えるから楽になるのではなく考えていない時に楽であるということかもしれません。

 

<注:勝手な個人的な見解の部分がありますので、鵜呑みにせずに実証実験によって確証することをお願いいたします。引用もしくは酷似表現の場合は、タイトル及びアドレスの明記をお願いいたします。>


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