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老子-68 [老子]

善爲士者不武。善戰者不怒。善勝敵者不與。善用人者爲之下。是謂不爭之徳、是謂用人之力、是謂配天。古之極。


官職に就いている役人にとっての善とは武人のようにすることではない。戦うことの善とは怒りにまかせることではない。良く敵に勝つというのは、敵を相手にしないことである。良く人を用いるということは、へりくだることである。これを争わない徳といい、人の力を用いるといい、天に配されるという。これらが古来からの至高の教えである。

 

<他の翻訳例>

すぐれた戦士は荒々しくはない。戦闘にすぐれたものは怒気をあらわさない。最もよく敵に勝つものは(敵を)相手にしない。人を最もよく使うものは、かれらに対しへりくだる。これが争わないことの「徳」といわれ、人びとの能力を使うことといわれ、天の至上さに匹敵するものといわれる。

「世界の名著 小川環樹 訳 中央公論社」小川環樹:京都大学名誉教授 中国文学者

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 専門は専門家に任せ素人が手を出してはいけない。激しいことは冷静さを欠くと失敗する。戦争に勝つには、戦況を分析して勝利しなければなりません。戦わずして勝利するのが一番ということは孫子の兵法にも出てきます。企業でも値下げ競争やボタン戦争(シャープとカシオの電卓)コーラ戦争(コカ・コーラとペプシ)HY戦争(ホンダとヤマハ)・・・。どちらも疲弊して混乱して企業体力が消耗するということでしょうか。ライバルはお互いを高めることもあるし、潰し合うこともあります。

 あえて人にへりくだって人材の能力を通りに使えるようにできるのは、相手の自尊心を尊重し喜んで働いてもらうということでしょうか。

 思想や考え方を支持してもらうには、読み手にアピールしなければなりません。ターゲットとなる読み手がどのような人なのかを念頭に書かれているはずです。読み手は識字のできるある程度教養のある人達であったことが想像できます。自らの考えが素晴らしく天をも味方にすると大袈裟に書いたということでしょうか。

 現代の生活と2千3百年前の生活はまったく異なっています。2千年後の世界は想像できません。2千年後の人のために何かを記述するというのは無理があります。環境はガラリと変わっても、人間の精神性や五感が変わってしまうことはないようです。学べることは学び、当時の人間の選んだ言葉に思いを馳せるのもいいかもしれません。

 

<注:勝手な個人的な見解の部分がありますので、鵜呑みにせずに実証実験によって確証することをお願いいたします。引用もしくは酷似表現の場合は、タイトル及びアドレスの明記をお願いいたします。>


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