SSブログ

学問となる前 [気づき]

文部科学省のHPから抜粋させていただきました。

学問」とは

・学問の意義は、人類の知的認識領域の拡大である。それは、個人の知的好奇心を満たすということを超えて、人類共有の知的財産の拡大を意味している。

・学問には2つの効用がある。第1は、生活上の便宜と利得の増大である。第2は、自分を作り上げていくこと、確立していくこと、いわゆるBildungとしての教養であり、このような教養による人間形成を通じての社会の形成である。前者も後者も重要であるが、後者の効用を忘れてはならない。

<省略>

「科学」の成立

・「科学」が、現在のような意味での「科学」になったのは18世紀のいわゆる啓蒙主義の時代である。世界を説明したり記述するときに「神」を必要とする立場を「聖」、「神」を必要としない立場を「俗」とするならば、18世紀に「聖」から「俗」への転換(「聖俗革命」)が起こった。この時代以降、「神の計画を知ること」という動機付けは消え去り、「科学」の動機付けは「知的好奇心」が中心となる。

・このような歴史的経緯を踏まえ、「知的好奇心」を動機付けとして、「真理の探究」を目的とした「科学」が成立する。このような意味での「科学」とは、純粋な知識体系であり、「科学」の成果を活用するクライアントが外部に存在しない、即ち、他の目的の手段ではないという古代ギリシャ以来の特性も併せ持っている。

---

辞書での「学問」

 学問(がくもん)とは、一定の理論に基づいて体系化された知識と方法であり、哲学や歴史学、心理学や言語学などの人文科学、政治学や法律学などの社会科学、物理学や化学などの自然科学などの総称。

 

 我々の生存している現象界では無常の世界であって、永遠に同じであるという事はあり得ません。生命体として生まれたということは必ず消え去ることは自明のことです。物質的な肉体は必ず消滅するのですが、有性生殖での生命体は自らのDNAを後世へと引き継ぐようにプログラムされています。DNAを受け継いだ子孫が誕生すれば生きている必要は無いのですが、人は様々な知恵・知識を伝承するために生きながらえています。

 生物としての役割を終えているのですが、何とかして生きながらえて生を謳歌していたいようです。

 偶然の生の中で出来るだけ安全・安心に生きていきたいというのは誰もが望むことです。因果関係を紐解いてあらゆる事を先回りして予測できれば困難に対処することができます。知るということは、恐怖を軽減することが出来るという思いが強いからこその自然のことなのでしょうか。

 人は因果関係を解き明かし、悪い結果となりうる原因を取り去りたい。現状を変えることで未来をより良い結果となるようにしたい。学問はヒトの保身のために必要とされていることかもしれません。

 学問は原因があって結果が起こるということの繰り返しの経験を知識として記憶できます。言葉や文字を用いて伝えたり理解するために役立ちます。仏道は身の回りで起こっている事象の因果を知る知識ではないようです。知識であれば記憶してペーパテストで60点以上で合格ということになりますが、個人的なことであって一般的な知識ではありません。

 学問ではなくあくまでも分別の起こる以前の状態というところに着眼しなければならないようです。

 

<注:勝手な個人的な見解の部分がありますので、鵜呑みにせずに実証実験によって確証することをお願いいたします。引用もしくは酷似表現の場合は、タイトル及びアドレスの明記をお願いいたします。>


nice!(41)  コメント(0) 
共通テーマ:学問

nice! 41

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
老子−59老子ー60 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。