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知る [気づき]

当たり前のことですが、存在・現象が先で何かを伝えたいということから言語が生まれました。存在・現象を表象する音(=言葉)と形(=文字)が言語です。絶対的な”一”である存在を適当に分割して概念化しました。”一”であった全体を”多”に分離分割して見るようになったということ。生命体は”自分かわいい”という本能によって、自身にとって意味や価値があるかを常に分別しなければなりません。動物はその種特有の器官を発達させることで事前に危険を察知することで危険を回避しています。

 繁殖や食料調達のために器官を変化変容して環境の中で存続することで今日まで生命を繋いでいます。

 

 言語で存在・現象を起こすことはできません。もし、言語で何かが出現したり現象が起こったら大変なことです。誰かが言葉で現象(竜巻・大雪・津波・嵐・地震・大雨・・・)を起こしたり、青龍・朱雀・白虎・玄武が出現するのはアニメや映画の中だけのことにしてもらいたいとお願いすることになります。現実に言葉や文字で何かが現実に出現したことなどありません。妄想は小説・絵本・アニメ・映画・絵画・・・だけにしてもらいたものです。神秘的なことはほとんど妄想であって、そんな神秘的なことを期待することから目覚めて現実を生きなければ・・・。大変な時は大変でいいし、辛い時は辛いままでいい。そのときに味わえなかったらいつ味わえるのでしょうか。

 何を勘違いしているのか真言(=マントラ)を唱えて何かを掴んだり得たり変化変容させることができるかのように信じている人がいるようです。願いを言葉に託して”何かを引き寄せる”とか・・・。

 言語の力ではなく、真言(=マントラ)だけを集中して唱えることで雑念や妄想から解放され、潜在意識に働きかけ自らを自動的に一つの思いへと駆り立てることが出来たということかもしれません。

 真言(=マントラ)は何でもよく外国人に”ねこふんじゃった”と唱えさせても効果があるかもしれません。外個人の着ているTシャツに”幕府”・”婚活”・”若造”などプリントされていますが、本人は分かって着ているのでしょうか・・・。

 

 知ったことを自らが”知った”と認識できるのは、対象が私達が記憶している物の名前と一致した瞬間かもしれません。初めて見るものは”名前”が出てこないので何が何だかサッパリ分かりません。しかし見えているのですから何らかの存在であると覚知しています。”知らない”ということを”知っている”ということは確かに見えている証拠です。

 我が国の官僚が国会答弁で”会話の内容は覚えていません”と言い切るということは、彼ら(=官僚)と大事な話をしても覚えてくれないということなのでしょうか。国の仕事を任せるには心もとないと揶揄する人もいます。

 専門家でなければ専門用語を言われても何を言いたいのか全く通じません。それほど様々な分野で日々多くの言葉が作り出されています。高齢者にはBtoBやIoTと言われてもついて行けません。”知る”というは、存在・現象・概念と言語が一致するということなのでしょうか。

 人間も動物の一種にすぎません。動物と同じように五感で感受した瞬間に”知った”ということです。動物が言語を使えないということで”知っていない”ということがあるでしょうか?人間は動物と同じように”知っています”が言語に変換された時点で”知った”ことにしているようです。

 

 ”知った”ことを言語で表現できなければ”知った”と認めないのが人間の通念になっていないでしょうか。あの人は”物知り”だというのは、言語で表現できてこそ認められます。子供や専門知識のない人は適切な語彙を持っていないので”知らない”とされていますが、大人や専門家と同じように見えているし聞こえているし味わってもいます。

 ”知った”ことを記憶してすぐに使えるようになっているのが”知識”ということになります。”知った”知識で物を見ると、ありのままの存在・現象として見ることが難しくなります。自身のイメージが”真”であり現実の存在・現象が自身の”真”と違うかという視点で観察していないでしょうか。私の抱いているいつもの”イメージ”とありのままの現実が異なるとして、現実をおかしいと見てしまう。眼前の”たった今”が”真”であり頭の中にある”イメージ”のほうが偽りです。現在の”体調が悪い”というのが真実なのに、いつもの元気な自分が”真”であり、現在の”体調が悪い”となります。”体調が悪い”という事実は歪められません。”痛い”時は”痛い”が正解です。”元の自分”はただのイメージでありどこにも存在しません。自身のイメージと現実に齟齬がある場合。現実にケチをつけて”なんとかしよう”と慌てふためいているのは一体何でしょうか。変えられない現実をそのまま受け取っていま対処すべきことを黙々とやる。

 

<例題>

 夫婦でピクニックに行って、目を離している間に子供と奥さんが湖で溺れていることに気づきました。子供と奥さんのどちらかしか助けられないとしたらどちらを先に助ければいいのでしょうか。

 

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 どうしようかと思考して悩まずに、近い方を先に助けるそうです。

 

<注:勝手な個人的な見解の部分がありますので、鵜呑みにせずに実証実験によって確証することをお願いいたします。引用もしくは酷似表現の場合は、タイトル及びアドレスの明記をお願いいたします。>


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