SSブログ

老子ー36 [老子]

將欲歙之、必固張之。將欲弱之、必固強之。將欲廢之、必固興之。將欲奪之、必固與之。是謂微明。柔弱勝剛強。魚不可脱於淵、國之利器、不可以示人。


相手の勢力を小さくしたいのなら、必ず拡大させなければならない。相手の勢力を弱めたいのなら、必ず強くさせなければならない。相手を廃れさせたいのなら、必ず繁栄させなければならない。相手の国土を奪いたいのなら、必ず土地を与えなければならない。これは微妙な真実です。柔弱は剛強に勝つ。魚は水を深くたたえているところから離れてどこかに行ってはならない。国の利器は、人にわかるように見せてはいけない。

 

歙:①息をすいこむ②あわせる ③ちぢめる・すぼめる

淵:水を深くたたえている所

利器:武器・才能・権力

 

<他の翻訳例>

 (あるものを)収縮させようと思えば、まず張りつめておかなければならない。弱めようと思えば、まず強めておかなければならない。衰えさせようと思えば、まず勢いよくさせておかなければならない。奪いとろうと思えば、まず与えておかなければならない。これば「明を微かにすること」とよばれる。こうして柔らかなものが剛いものに、弱いものが強いものに勝つのだ。「魚は深い水の底から離れぬがよい。国家の最も鋭い武器は、何人にも見せぬがよい」

「世界の名著 小川環樹 訳 中央公論社」小川環樹:京都大学名誉教授 中国文学者

----

 過去の文献の翻訳は百花繚乱であり、好き勝手に訳されているように感じる人が多いのではないでしょうか。正解は原作者だけでありそれ以外は全て偽りかもしれません。それだけ各人の解釈や表現が異なっているということのようです。  

 そもそも、2千年以上前の状況やその時代に生きていた人が何を言いたかったのかを知る由もありません。また当時の人が、2千年後の人に思いを馳せて書いているわけがありません。

・盛者必衰

・山高ければ谷深し

・柔よく剛を制す

・琴の弦は、張り過ぎると切れてしまう。緩過ぎては、音は出ない。適度な状態(中道)が一番良いのだよ。

 

 今まさに起っている出来事に直面していながら、個々人の受け取り方や処理してアウトプットされる表現も一字一句同じということはありません。私たちは異なる場所で生まれ異なる環境で育ち異なる情報を得て異なる感受をしています。異なる教え・友人・師・本に影響され異なる思考・アイデア・イメージ・目標・アイデンティティ・行動をとるようななります。外観は似ていますが全く別者として生きています。現象として発せられている電磁波や音波や味や匂い分子に違いはないのですが、感受能力と処理能力と判断能力が微妙に異なります。先天的な本能による反射は同じでも、環境の違いによって出力が異なります。どこかの工場で同じ部品で組み立てられ、同じソフトが組み込まれ同じネットに繋がっていれば同じように出力されます。

 データーベースが変わらずソフトも変わらなければ、同じように検索されます。同じように検索できなければ信頼性のない駄目なデータベースということになります。マシンの素晴らしさは、全く同じように反応し裏切らないことです。同一性・信頼性・平等性・画一性・応答性・従順性(プログラム通り)・・・

 人間の良いところは曖昧・不平等・異なる対応・信頼がない・従順ではない・画一的ではない・異なる表現・異なる能力・繊細・丁寧・感情表現・裏腹・正直ではない・柔軟性・多様性・・・・。

 ある状況が発生し、ロボットに組み込まれたプログラムのように全員が全く同じ方向に逃げたとしたらどうでしょうか。all or nothing. Dead or alive.

 全員が駄目になるよりも、何人かが助かった方が種の保存には適しているかもしれません。異なるモノが入っているということは素晴らしいことです。画一的で何度やっても同じというのは全滅する可能性が大きいということのようです。

 金太郎飴のような同じ顔の俳優や女優が出てくるような映画は面白いと感じるでしょうか。あまりに整いすぎている絵も面白みがありません。平面のキャンパスに立体に見えるものを書き入れたり、アシメントリーにしたほうが味わい深いかも知れません。

 下手な人のおかげで際立つ、不親切な人がいるから親切が際立つ、従順でないから育てがいがある・・・・。失敗するからこそ人間としての生き方を味わえます。差別が悪いと言いながら、差別してくれることで優越感に浸ることができるかも知れません。スイートルーム・ファーストクラス・個室・プレミアム◯◯・贈答用◯◯・会員制◯◯・・。差別するなと言いながら差別・区別を望んでいるのではないでしょうか。性別や年齢や肌の色・髪の色・目の色・・変えられない事象に対して差を持ち出すのは論外のことです。

 

 私たちが見ている存在はただのアイコンだと前回のTEDの中にありました。私たちは三次元の立体をそのままに見えることはなく、立体を想像しているだけです。実際は立体の表面のほんの一部分しか見えていません。立体であるかのように脳が構築しているかもしれません。

 あらゆる存在に名前がつけられています。存在はただ見えているそのものとしてあるだけで名前が貼っているわけではありません。自らが解釈したり人に伝えたりするために、言語という曖昧(=ただの概念)なもので表現しているにすぎません。

 もし言語と関連づけずに記憶や記録しなければ、何事もなくただ瞬間・瞬間だけなのですが・・・。思い返したり、何かを掴もうとしたり何かを得ようとしたり意味や価値を見出そうとすることで思いが重要になってしまいます。ただの思いであって消え去っても問題にはならないのですが・・・。思いの1つに引っかかると、その思いが重要なこととしてクローズアップされていまいます。そのクローズアップされた思いを何時までも追いかけることでどんどん思いが強化されてその思いに引きづられることになります。

 思いに姿形はなく力も無いのですが、思いが身体に働きかけて行動という姿形や力となります。思考が変化をもたらすものとして、重要なものであると思いこんでしまいます。思考と力が結びついて思考力としてもてはやされることになっています。思考(=自我)は思考を愛でてくれると嬉しくてたまりません。”なんとかしよう”ということが自身であり生きているということだと感じてしまいます。思考が主人となって我が身を振り回す力を持ったまま生きることになります。思考しなくても生きているし生きていけるということをどこかで体験したほうが良いかも知れません。

 身体が思考に振り回されていると見抜くことは容易なことではありません。本当は身体(=主)のために思考(=従)させられているのに・・・逆転しているのではないでしょうか。身体の存続のために腸から分化して脳のになっているのであれば、身体のために自然に働かされているということ。身体を安静に(=何もしない)して思い続けていることに違和感を感じ、その思いに取り合わない(=何もしない)。身体に従うように地道に慣らしていくしかないようです。

 

<注:勝手な個人的な見解の部分がありますので、鵜呑みにせずに実証実験によって確証することをお願いいたします。引用もしくは酷似表現の場合は、タイトル及びアドレスの明記をお願いいたします。>


nice!(46)  コメント(0) 
共通テーマ:学問

nice! 46

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。