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意識とは何か [TED]


<00:57:P.S.氏の症状は 「半側空間無視」と呼ばれ 脳の情報処理と 処理を経験することは 異なるという重要な事実を示しています この経験が いわゆる「意識」です。>

 

 単細胞生物から進化して口と排泄口が一本の管であったものが、腸になり神経となり更には脳へと進化したのでしょうか。腸は第二の脳と言われていますが、進化の過程からすれば脳が第二の腸というのが正しいかもしれません。生命体が生き残っているということは、危険を回避しながらも効率的にエネルギー源を摂取するというシステムが構築できているからではないでしょうか。生命が生まれた瞬間から生き続けるという機能が備わっていたことになります。永遠に生き続けるには自身のコピーを多く作り、生存の可能性を広げるために変異を起こして多様化しなければなりません。あらゆる条件下で一つでも生き残れば生命は繋がっていくことができます。

 危機的な状況であっても多様化できたことで、生命体としての生存は続いていく可能性が残されています。より強いものへと変化変容して今の生態系となっているのでしょうか。あらゆる生命体の元祖は同じ単細胞であり、我々は同じものから派生した同じ生命体ということでしょうか。表面上は食べるということをしていますが、単に同化しているというだけのことかもしれません。生命の存続という立場から見れば、お互いにサバイバルゲームの中で切磋琢磨しながら強化して生き延びているということでしょうか。幸いにも人間種という生命体としてこうやって生を実感できています。

 脳の話へ戻りますが、生命体として生存するために五感から入力される情報を処理し、危険回避・エネルギー源の確保のために行動していることは疑いありません。電磁波の情報が視覚細胞から入力されて、視覚野で映像として処理され、次に記憶と照合されて”危険”や他の感覚として処理しているのでしょうか。「半側空間無視」とは、その映像が左脳で処理できなかったということでしょうか。視覚野では処理されているので”無意識”では”危険”とされていましたが、顕在化(=視覚化)できていないので”意識”として体感できていない。脳内では”危険”と判断されているのですが、見えていなのでどうしてなのか理解できないかもしれません。

 私たちも全てが見えているわけではないのですが、身体が反応して勝手に動くことがあります。

 

<01:44:白色光を 色のない耀きと読み取ります 実際には 白色光は目に見えるすべての色に対応する 波長を含んでいます

 同様に人体に関する脳のモデルは 手足の位置を把握しますが 個々の細胞 または筋肉についてさえ 把握しません このレベルの情報は 動作を計画するのに必要がないからです もし脳にこのモデルがなく 体の大きさや形 瞬間的な動作を把握できなければ 我々はすぐにケガしてしまいます  >

 

 私たちは、私たちには存在を認識できる能力が備わっていると思い込んでいます。人間にとって認識できる存在があって、ありのままを認識できているとしています。そうでしょうか。自身の周りには解りきった存在があって、その存在を認識しようとすれば適切に認識できているとしています。それは我々の認識能力の範囲内のことであって、限られた認識能力しかありません。紫外線は見ることは出来ないし、全ての振動(=音波)を聞き分けることも出来ません。

 認識できる存在が存在としてあるのではなく、認識できる範囲でしか存在を認識できていないということです。どうやっても鳥や蝶が見ているようには見えません。犬が嗅ぎ分けられるように匂いを嗅ぎ分けることはできません。ただ人間の能力の範囲内で認識されたものだけが存在として認められているにすぎません。本当の”花”の色彩を見ているのではなく、紫外線がカットされた”花”を”花”の色彩としています。

 私たちは”言語”を認識しているのではなく、認識できる”言語”が認識されているということです。アラビア語を認識できない日本人にとって、”アラビア語”は”言語”ではなく単なる音(=言葉)・形(=文字)でしかありません。何気なく文章を書いたりしていますが、日本人が認識できるような文章を書いているということです。

 知らぬ間に、日本語という言語を理解できる人に向けた文章を書いていることになります。認識されるモノ(=認識することができるモノ)、つまり認識する人にとって意味や価値がなくてはなりません。詩や音楽や芸術作品は認識される人によって意味や価値が創造されます。子供が砂を積んだだけでは芸術作品にはなりません。認識する人にとって意味や価値がなければ意味がないということになります。必然的に発信する人は意味や価値のあるものを創作し、認識する人は認識できる意味や価値のあるものを見出すことになります。

 全ての存在に意味や価値があると思い込んではいないでしょうか。何故なら意味や価値のあるものを与えられ、意味や価値のあるものを得ようとしてきたからに他ありません。意味や価値のあるものを作らなければ、誰も興味を示しません。多くのものに囲まれていながら、意味や価値の無いことをしたり意味や価値のないものを追いかけるようなことはしません。誰もが意味や価値のあるものを得ようと必死になっています。意味や価値のあるものを求め、得ることが人生そのものだとしています。人生は意味や価値のあるものを探し回り、どうすれば掴んだり得たりできるかを考える続けたり行動することになっているのではないでしょうか。

 あくまでも今生きている人の生きている地域でのみ意味や価値があることでしかないということを理解しなければなりません。100年前のレアメタルは只の厄介な鉱物だったかもしれません。プラスチックは重宝されていたのですが、今では環境に負荷をかける代物です。

 

 意味や価値というものは、創作する人と認識する人がお互いが「虚構(=フィクション)」を共有していなければ成り立たないということのようです。子供には哲学書よりも童話の方が意味や価値があります。子供にはダイヤモンドよりも玩具のほうが意味や価値があります。

 光源である、白色は全ての色の電磁波の波長を含んでいますが、目で全ての波長を認識しても意味がありません。光を反射した物体がどんな形であるかが認識する主体が求めているものです。認識体にとって有益な情報が選び取られて処理されているということになります。人体であっても、大きさや可動範囲が分かればいいのであって足や手の内部構造がどうなっているかは大事なことではないようです。「私」というものも、様々な概念が組み合わさって認識されているただの思い込みということかもしれません。世間一般に使われている「私」は自身が自身に認識されるように、意味や価値をつけて意識されている「虚構(=フィクション)」かもしれません。

 

 仏教では、一切皆空であり無常であるので五蘊に意味や価値を見出せない。意味や価値を見出そうとしていることが無駄なことで虚しいことだと見抜いてくださいということのようです。変化変容している瞬間を捉えているだけで儚く消えゆくものに振り回されていることを直視してください。この世の物質的なことや地位や名誉や権力は一時的なものであって永遠ではない。思い煩うことのない、無達成の達成である”無”こそが「それ」ということ。

 

 

・人生に意味や価値があるとしているのは、意味や価値のあることだけを認識しようとする脳の働きが備わっているからでしょうか。

 

 

<注:勝手な個人的な見解の部分がありますので、鵜呑みにせずに実証実験によって確証することをお願いいたします。引用もしくは酷似表現の場合は、タイトル及びアドレスの明記をお願いいたします。>


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YUTAじい

今年もありがとうございました。
良いお年をお迎えください。
by YUTAじい (2020-12-31 12:32) 

yam

明けましておめでとう御座います
本年も昨年同様よろしくお願い申し上げます
by yam (2021-01-02 09:43) 

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