動物は自然のままに生きています。人間のように時間を気にすることもないようです。時計を見ることもないし自らの行動を時計によって制約することもありません。何時に起きて何時に寝るという時間の観念を持ち合わせていないようです。動物は「未来」に思いを馳せて悩んだり絶望することはないようです。たった今をありのままに生きているかもしれません。


 人間は時間の概念を使って「未来」という観念を「モノ」であるかのように扱ってはいないでしょうか。「未来」があると言っているのは、どこかにあると考えています。「未来」に希望を抱くこともできますが、絶望もあります。希望と絶望はコインのように表裏一体の関係にあります。


 思いに実体があるでしょうか。思いを文字にすると「モノ」のように扱うことができ、掴むとか得るということができるように感じるかもしれません。文字を本にすれば本という「モノ」にすることができます。思いにも良い思いがあるとすれば、悪い思いもあります。「思考」することを悪い事のように言う人は稀です。


 「思考」すること自体は脳内の発火現象でしかなく、実体はありません。思考した結果を言語化することは、諸刃の剣であって人を助けることも人を傷つけることも騙すこともできます。思考が止んでいる時(=例えば熟睡時)が幸せなのに、思考して思考の中に幸せがあるでしょうか。スポーツ観戦したりコンサートで音楽を聞いている時は、評論家でなければむやみに思考しなくてもいいので気楽でいられます。考えるということを苦痛だと感じることがないでしょうか。いつまでもある問題に悩まされ続けることは大変な労力を必要とします。


 悩み・葛藤・混乱は考え続けていることではないでしょうか。悩みが解消するとはその悩みを考えなくて済んでいることです。「知らぬが仏」という言葉があります。知らないことに惑わされたり苦しんだりしないということです。知らなかったら腹を立てることも悲しむことも悩むこともありません。


 


<注:勝手な個人的な見解の部分がありますので、鵜呑みにせずに実証実験によって確証することをお願いいたします。引用もしくは酷似表現の場合は、タイトル及びアドレスの明記をお願いいたします。>