大道汎兮、其可左右。萬物恃之而生而不辭。功成而不名有。愛養萬物、而不爲主。常無欲、可名於小。萬物歸焉、而不爲主、可名於大。是以聖人、終不自大、故能成其大。



 道は広大無窮であり、道はいたるところで働いている。万物は道(=宇宙・自然の理)によって生まれ、尽きることがない。


 道(=宇宙・自然の理)は生みだすが名はつけられていない。


 道は万物を慈しみ育てていながら、コントロールしているわけではない。


 道は欲とは無縁であり、”小”と名づけてもいい。万物は道へと帰っていくが、誰かがコントロールしているわけではない。”大”と名づけてもいい。


 この道理に従っている聖人は、自らを大いなるものとすることはない。だからこそ大いなることをなすことができる。


 


汎:広大無窮、果てしないこと。


兮:助字として使われ語末、句末に置かれる。


左右:いたるところ


肯定・命令請求・疑問の語気を示す


恃:たよりにする
辭:やめる


 


<他の翻訳例>


 大いなる「道」は漂いゆく(船)に似ている。左へゆくことも右へゆくこともできるのだ。万物はそれぞれの生存をそれ(「道」)にたよっているが、そのことを(「道」は)こばまない。「道」は仕事を完成しても(その功績の帰属と)保有を主張しない。大きな衣のように万物を包み養っても、それらの主であること(利権)を主張しない。永久に欲望をもたないから、小さな(卑しい)ものとよぶことができるであろうが、万物がそれに向かっていながら、その主であることを主張しないから、大いなるものと呼ぶことができる。その偉大さをみせびらかすことは決してない。だからこそ、その偉大さが完全となる。


「世界の名著 小川環樹 訳 中央公論社」小川環樹:京都大学名誉教授 中国文学者


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****<辞書等での大まかな意味


◯観念:ある物事がどういうものか言葉で定義したもの。物事に対してもつ考え。


主観的(=自分だけ)であり、頭の中だけで考えていること。


人が物事に関して抱く、主観的な考えのこと。対象物に対して心の働きが加わったもの,つまり認識されたもの。内的・個人的なものです。


※個々人によって対象について考えている内容が異なる。※


類義語:イメージ・考え・心像・想念 対義語:実在


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 私たちは今ここで何かを感受しています。様々な電磁波から色や形を認識し、空気中を伝わる振動を音として認識しています。何かを見て何かを聞いて何かを味わい・・・・。寝て目覚めては食べ排出しています。なぜだか知りませんが身体が動き何かが思い浮かんできます。周りに起っていることに気づき自然に反応しています。知らぬ間に生まれ名前がつけられ名前を呼ばれたり”あなた・君”と言われて過ごし「私」というモノがあると思いこんでしまいました。


 身体と思いがただの観念でしかないのに、”自分”というものがあって誰もが”自分かわいい”によって保身第一に考える癖によって振り回されることになっています。


 何かを知って何かを思って何かを感じて何かを得るのは”自分かわいい”のために行われます。”自分かわいい”が元凶(=苦悩の根源)であると認めることができなければ”自分かわいい”い翻弄されて一生を終わってしまうかもしれません。


 


 宇宙を創造し、今もあらゆる法則として働き続けている。名はないので「道Tao」と名づけたのでしょうか。発見される法則は全てすでにあり「道Tao」が根源。見ることも触れることもできないが宇宙に遍満し働き続けているのが「道Tao」なのでしょうか。


 ニュートンは質量を持った物体がお互いが引き合うという「万有引力の法則」を発見しました。当時の世界観は天上界(=宇宙)と地上界(=地上)と分けて考えられていたようですが、実は別々に分離されたものではなく同じ法則だということを発見しました。


 地上界でのあらゆる物体は地球とお互いに引き合っている。ニュートンは”どれもこれも引き合っている!!なんで気づかなかったんだろう”と驚きの目で世界を見ていたのでしょうか。


 老子も”これもそれも全てに「道Tao」の働きがあるという発見をしたのでしょうか。見るもの聞こえるもの感じるもの全てが「道Tao」だと叫びたかったかもしれません。”どうして気づかないのだろう”と嘆いていたのでしょうか。


 私たちの周りには見えないモノ、触れることのできないモノ、掴むことのできないモノだらけです。エネルギー・圧力・重力・気圧・温度・光・ウィルス・素粒子・電子・本来の自己・・・これらは勝手に働いていています。鳥が囀り飛び回り、魚は泳ぎ、動物は駆け回り、花は季節になれば自ずと花開く。人間の一挙手一投足も自分がやっているわけではなく宇宙全体の動き一つに過ぎない。大海の大きなうねりの中のほんの一滴の動きのようなもの。


 鳥は自身がどうやって飛ぶか分かってるのでしょうか。魚は自身がどうやって泳いでいるのか分かっているのでしょうか。犬は自身がどうやって駆け回っているか分かっているのでしょうか。犬は自身がどうやって背中を掻いているか分かっているのでしょうか。猫は自身がどうやって舌を使って食べているのか分かっているのでしょうか。猫はどうやって鳴き声を出しているか分かっているのでしょうか。蜘蛛はどうやって巣を作っているのか分かっているのかいるのでしょうか。見えている聞こえている味わっている・・・自分がやっているなんていつから勘違いしてしまったのでしょうか。


 人間はどうやって自国語を話しているのか分かっているのでしょうか。声帯を振動させて声の大小をコントロールしたり、口・唇・舌をどのように動かしてどのタイミングでどの程度息を吸ったり吐いたりしているのでしょうか・・・・自分で一語一語確認して制御しながら話しているのでしょうか。「私」がどこにいてどのようにコントロールしているか見つけることができません。眠っている時に「私」はどこにいるのでしょうか。


 一切が何かわからない道理に従っていると言わざるをえません。道理に従うままに生きることが「道Tao」であり、大きなものと一体となる生き方をすべきだと言いたいのでしょうか。


 


<注:勝手な個人的な見解の部分がありますので、鵜呑みにせずに実証実験によって確証することをお願いいたします。引用もしくは酷似表現の場合は、タイトル及びアドレスの明記をお願いいたします。>