・自己、私:一般的に一人称として使われている言葉。


第三者が自らを表現するときに使う言葉


・「私」:事象を思考で振り返った後に、主体として使われる言葉。頭の中で事象を観察している自分。頭の中で、自らを観察し評価している自分。


・「我」:頭の中でアイデンティティと同一化し、自己正当化(=自分は正しい)しているただの思い。「たった今」に寛げず、この条件を満たしたら幸せになるという観念。比較するために、過去や未来を持ち出して不安・不平不満の元凶。


・無明:「苦しみ」がどう引き起こされているかを知らない。


・エントロピー増大:「それを自然のままにほっておくと、散らばる方向に変化して行き、外から故意に仕事を加えてやらない限り、決してその逆は起らない」


 


 私達は宇宙という大海原の中で宇宙と分離すること無く躍動しています。起こっていることは宇宙の出来事そのものです。極端に言えば宇宙とともに「たった今」を生きていることになります。宇宙=全体=気づいている意識=平常心。


 


 「苦しみ」の原因は、「我」が”自分かわいい”を前提に二項対立的な思考(=平常心ではない)によっているからです。


 手品の種が分からないうちは不思議でたまりません。どうしてそんなことができるのか狐につままれたように感じます。しかし、種が分かってしまえば気づかなかった自分の注意力のなさにガックリするやら可笑しいやらなさけないと感じます。


 「一切顛倒夢想」である現実も、「我」によって展開されている夢想(=妄想)でしかありません。自作自演のトリックですから、他人が自分の頭の中で繰り広げているトリックを暴く事はできません。自分で種明かしをしない限り自分のトリックから抜け出すことはできません。「自縄自縛」というのは「我」によって「無明」となっているということではないでしょうか。


 この世は諸行無常でありエントロピー増大の法則が働いています。老・病・死は「苦」ではなく、至極当たり前のことです。身体は分解して無となるのは必然です。「我」が老いを受け入れずに”何とかしたい”とあがけばあがくほど「苦しみ」となります。


 定年となり会社で築き上げるがアイデンティティは根こそぎ奪い去られてしまいます。アイデンティティは会社に所属していたときに仮に与えられていたただのラベルだということに気づきます。


 「私」だと思っていたアイデンティティはただの自分で思い描いていたでっち上げだということに気づけば、眼が醒めていきます。


 何者でもない空っぽな「私」であれば、プライドもこだわることもなければどうでしょうか。ただのおじさんであれば何を言われても、ただの音が聞こえているだけです。


 「苦しみ」(=無明)は、頭の中で作り出していることに気づくのが第一です。次にその「苦しみ」は頭の中の勝手なおしゃべりであって実体がないので放っておけば消えるということを体験していくことです。


 


<注:勝手な個人的な見解の部分がありますので、鵜呑みにせずに実証実験によって確証することをお願いいたします。引用もしくは酷似表現の場合は、タイトル及びアドレスの明記をお願いいたします。>