私たちは、起こった事象に対して予想外のことが起これば「偶然」と感じます。練習を重ねて技の完成度が高いオリンピック選手であれば確率的に「必然」と言っていいかも知れません。スキルの不足している初心者であれば「偶然」にできたと解釈するかもしれません。また、物理法則に従っていれば「必然」とします。起こった事実は曲げられないので「必然」として受け入れなければなりません。想定外・予定外等の信じられないことでも起こってしまったことは「必然」ではないでしょうか。単に予期しなかったことが起こったと感じて「偶然」という概念で処理してはいないでしょうか。


 極端に言えば起こっていることは「必然」だけで、個々人が出来事を振り返って「偶然」としているだけかもしれません。


 「今」というのは振り返った瞬間に「今」は過ぎ去っているので「今」を知ることはできません。「今」を捉えたり掴んだりすることはできずに、ただ流れのままにあることができるだけ。あらゆる事象が「必然」であれば、「今」は過去から決められたことであって「未来」である言えます。また、決められた「未来」があり「未来」から「今」を観察すれば「今」は「過去」と言えます。つまり、「今」は瞬く間に消え去っていて「未来」でもあり「過去」でもあります。


 100メートルを走るとします。「今」スタート地点にいるとします。スタート地点はゴール地点から見れば「過去」であり「今」です。スタート地点はスタート地点に立つ1分前からすれば「未来」です。スタート地点に立っているのは「過去」「今」「未来」ということかもしれません。


 散歩して、数十メート前のある地点は「未来」の通過地点でありその通過地点のさらに数十メートル前からすれば「過去」です。家に帰ったらただ歩いたという経験があるだけで、歩いていた時の自分は消え去っていて「今」の自分があるだけです。そう、今まで経験したことは何もかも消え去っていて「幻」のようなものです。「今」はあるとも言えるしないとも言えます。あったはずですが全く同じ状況は綺麗サッパリ消え去っています。


 「今」を生きていても過去・現在・未来を経験しているということになるかもしれません。そして我々は実在しているようで縷々転々と変化しているので固定したものではありません。私たちは本当に存在しているのでしょうか?


 


<注:勝手な個人的な見解の部分がありますので、鵜呑みにせずに実証実験によって確証することをお願いいたします。引用もしくは酷似表現の場合は、タイトル及びアドレスの明記をお願いいたします。>