TED「現実をあるがままに見ているのでしょうか?」TranscriptをEnglishから日本語にしてください。


***<辞書での意味>


意識:自分が現在何をやっているか、今はどんな状況なのかなどが自分でわかる、心の働き。「自分の今ある状態や、周囲の状況などを認識できている状態のこと」


精神分析学


・これは私の経験だと感じることのできることを総体的に意識という。


・自分で現在認識していないが、努力すれば思い出すことができる内容を前意識という。


・自分で現在認識しておらず、努力しても思い出せない内容を無意識という。


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「意識がある」とは、脳において刺激を認識することが可能であり、刺激に対し明確な反応を示す状態を指す。


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00:30


脳の活動と意識体験との関係については今でも解明されていませんなぜ?


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 我々の活動は、進化の過程で先天的に刷り込まれている脳内の神経細胞の働きがあります。また脳のポテンシャルに依存しています。生命体は生存活動に必要十分な肉体構造がありますが、環境変化に適応するように変化変容させられているかもしれません。生命体として生存できているということは、五感から入力される刺激を認識して適切な処理が行われてきたという証だということです。


 私たちが存在している4次元時空間では、あらゆる存在が生滅することで動的な変化が起っています。生命体として存続するには、周りの現象が変化していることにいち早く気づき何が起っているかが知られるようになっています。認識は、あらゆる生命体に備わっている単なるプロセスとして働いていると思われます。


 五感で情報を感受し、脳内で映し出される映像・音・匂い・味・感覚・思いの背後に確固たる存在者は不在であり自然現象としして処理されています。


 過去もこれからも、地球上ではリンゴは落ち続けます。物理現象である万有引力は絶対的な働きとしてあり続けます。ただの現象として起っているだけであり何かの力が働いたり、何者かによって見えたり聞こえたりするわけではないようですが・・・。


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01:15


 眼を開いて1メートル先に赤いトマトがあることを認識します。その結果私は現実に1メートル先に赤いトマトがあるのだと信じることになります。次に目を閉じると私の意識は灰色の世界へと変わります。それでも現実には1メートル先に赤いトマトがあるのでしょうか?私はそう思いますが、間違っているでしょうか?もしかしたら知覚というものを誤って解釈していないでしょうか?


02:30


 我々は地球は不動で宇宙の中心にあると考えました。やはりそのように見えるからです。


03:39


 客観的な現実をそのまま写真として撮るのです。視覚にはカメラのような部分があります。眼球にはレンズがあり眼球の後方に像を写しますそこには1億3千万個の光受容体があるので、眼は1億3千万ピクセルのカメラのようなものです。しかし、これでは視覚に関わる何十億もあるニューロンと何兆にもなるシナプスについて説明できていません。ニューロンは何のためにあるのでしょう?


04:15


 神経科学者は我々が目にする形、物体、色や動きといったものをリアルタイムに創造していくのだと言います。


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 私たちは、「私」という存在者がいて意識が働いて認識することができると思っているのでしょうか。目を向ければ自然と視覚野に映像として映し出されるようになっています。気づいてい認識されたことに”意識”という言葉(=概念)を後づけしているだけではないでしょうか。科学で存在を精細に分析すればするほど、存在は空っぽで”無”であるという認識に近づくのでしょうか。


 存在が在るのでしょうか、それとも各生命体個々に異なる存在として認識されているのでしょうか。蟻はバッタ(=何らかの存在)の一部を認識ことはできても、自身より大きなそれ(=バッタ)の外観を一目で見ることは不可能です。我々もトマトの全体(=表裏)を同時に見ることはできません。見えているのは片側であったり一部分でしかありません。音楽を聴いているようですが断片をつなぎ合わせて聴いた気になっています。立体の裏側を想像し補いながら感じ取っているということでしょうか。


 何か(=対象として)を認識するには、認識する”主体(=私)”がいなければなりません。自らを”主体(=私)”とすることで、見る者(=知るもの)が見られるモノ(=知られるもの)と対峙して知ることができます。


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06:05


 これは標準的な教科書に書いてあることです。ここでは例えば「進化論的に見て知覚はとても正確でありとても有用である」。この概念の背後にあるのは正確な知覚は適応により進化したものであり、生存競争における優位性があると考えています。


09:25


 進化の方程式で中心となる働きをするのはあるがままの現実ではなく適応度です。


10:12


 そこで私の研究室では何十万回という進化のゲーム・シミュレーションを行いました。そこでは多数の異なった世界がランダムに選ばれ生物が生きるための資源を求めて競争するのです。ある種の生物は現実を全て見ることが出来て、またあるものは現実の一部だけが見え、別のあるものは現実が全く見えず適応だけが可能です。誰が勝利するのでしょうか?


10:39


 皆さんを落胆させたくはないのですが現実を認識するものが滅びます。殆ど全てのシミュレーションで現実を全く見ることなく、ただ適応していくものだけが現実をあるがままに見る生物を絶滅に追いやるのです。


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 人間の食に対しての適応力は驚くべきものだと感心させられます。納豆・ナマコ・マンボウ・カエル・蛇・カタツムリ・クラゲ・蜂の幼虫・イナゴ・栗・銀杏・イノシシ・クマ・鹿・ワニ・・何でも食べることのできるホモ・サピエンスは、生き残こるべくして生き残ってきたかもしれません。他の生物が食べないユーカリや笹を食べて生き残っている種もあります。


 生存の為には危険を回避して捕食によってエネルギーを摂取し子孫を残さなければなりません。有利な特徴(=子孫が生き残れる雌雄)を持ったものと交配してきたかもしれません。眼前の環境に適応できるものが生き残れている。


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11:40


 あなたが今知覚している空間と時間は、あなたにとってのデスクトップであり物理的に存在する物体はデスクトップ上のアイコンに過ぎません。


13:55


 物理学によれば強固に見える金属製の電車も実際には微小な粒子がほとんど空っぽの空間を飛び回っているだけだとずいぶん前からわかっていた。新しい考えではないではないか、でも厳密にはそうではありません。こういうことです。デスクトップ上の青いアイコンは現実のパソコンそのものではありませんが、ちゃんとした虫眼鏡で近づいて見てみると小さなピクセルが見えますがこれこそがパソコンの現実なのです。


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 存在は形や色や質感として感受されますが、その存在はパソコンのデスクトップ上に表示されている図形でしかない。ファイルのアイコンにはファイルが入っていますが、ハードディスク内のdocument/myfile/doc/というディレクトリーを表している。また番地で言えば0001000010001000111110011かもしれません。


 また、https://mujyo-ku-muga.blog.ss-blog.jp/が可動しているのは日本なのかアメリカなのか全く分かりません。ただの文字を見ているのですが、IPアドレスが割り振られて管理されています。”h”はASCIIコードで16進数では0x68となります。見えているモノと実体とはかけ離れています。鉛筆の芯もダイヤも同じ炭素原子でできている結びつきや密度の違いだけです。印刷前の1万円札と印刷後の1万円札は紙としては同じです。


 数日で入れかわるヒト小腸の上皮細胞では、世界で最も美しい女性の上皮細胞と90歳の女性の上皮細胞を比べても変わらないかも知れません。


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14:38


 誰にでも立方体が見えるのはそれぞれの人が見た立方体を構築しているからです。電車についても同じことがいえます。誰にでも電車が見えるのは各人が構築した電車を見ているからです。全ての物理的に存在する物体について同じことが言えます。


15:15


 現実は3次元のデスクトップのようなもので、現実の世界の複雑さを隠ぺいし適応的な行動をとるように設計されています。知覚する空間がデスクトップであって、物理的に存在する物体はデスクトップ上のアイコンに過ぎません。


15:44


 我々は地球が平らであると考えてきました。そのように見えるからです。次に地球は宇宙における不動の中心であると考えました。そのように見えるからです。でも我々は間違っていました。知覚は誤解されていました。時空と物体はあるがままの現実であると信じています。


 我々は知覚による体験を誤って解釈しているのです。我々が目で見なくても存在している何かがありますが、それは時空でも物理的な物体でもありません。体験する時空や物体を否定することは、玉虫がボトルから離れることと同様に難しいことですなぜでしょう?


 我々は本当のところが見えていないことに対し盲目だからです。それでも玉虫よりは優れていることがあります。それは科学と技術です望遠用のレンズを通して眺めることにより地球は現実の世界における不動の中心ではないことを発見しました。


 また進化論を注意深く考察することで認識する時空と物体が現実の真の姿でないことも分かりました。私が赤いトマトと表現するものを知覚によって体験する時現実との作用が起りますが、現実は赤いトマトとは全く異なるものなのです。


脳ないしニューロンによって知覚的な体験をするとき現実との作用が働きますが、現実は脳やニューロンによって構築されたものではなく脳やニューロンの構築物とは全く異なったものです。現実はそれが何であれ世の中の原因と結果の元となる真の存在であり脳やニューロンの構築物ではありません。脳とニューロンには原因を引き起こす力は無く、我々の知覚的な体験や行動そのものを引き起こしません。脳やニューロンが構築するイメージやその方法は種に依存します。


18:53


 知覚とは真実を見ることではないと認めましょう。


19:48


 私が主張しているのは知覚したものが現実であり、現実は知覚したものとほぼ等しいという1つの理論が過ちと判明したということです。


20:24


 知覚は現実を隠蔽すようにデザインされています。しかし論理学や数学についてはその限りではありません。


21:27


 意識が物を生じさせその逆ではないと。


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 ほとんどの物理的な存在には識別名(=名前)がついています。”飴”という言葉を発音しても文字としても頭の中で呟いても、ただの名前であって実際に”甘さ”を味わうことはできません。見えた対象を記憶と照合して一致した識別名をあてがい”電車”としています。教え込まれ記憶された識別名によって”電車”となるだけで、電車を見たことがなく教え込まれていなければただの物体でしかありません。花・虫・料理・野菜の名前を知らなければ見えたままとして受け取る他ありません。


 物理的な存在はアイコンであって、表面の一部だけが見えているだけです。自身の身体や他人の身体の一部を見ることができますが、身体(=アイコン)の内部でどのようなことが行われているのか全く分かりません。食べたものがどうやって食道を通って胃の中でどこから消化液が出てどのようにして消化されて・・・・。家の居間にいたとして、壁(=アイコン)は見えるのですが壁の内部がどうなっていて壁の向こう側はどうなっているかさえ全く分自身の身体だと思いこんでいる身体も、侵入したウィルスを自由自在に撃退することは出来ません。単に筋肉を収縮させてある程度動かせる程度です。かりません。車(=アイコン)の外観を見ることができますが、ガソリンがどのように噴射されてピストンがどんな形状でどのように動いているかなど全く分かりません。


 物理的な存在として認識されるのはほんの一部の外観であって、内部で起っている詳細は全くのブラックボックスだということでしょうか。アイコンを見て世界を見ている気になっていることに気づいてくださいということでしょうか。


 見えていないところは全く知りえない。見えたものは脳が構築した構築物であって表面上の外観であって人間の感受できる範囲での像(=脳の視覚野では全ての電磁波を色として再現出来ていません)。ある種によっては、世界は白黒のモザイクとして見えているかもしれません。あたかも匂いの分子が川のように流れている世界かもしれません。


 知覚は各生命体の感受能力の差異によって再現され、ことなる世界として映し出されているようです。知覚されて存在は、ホモ・サピエンスが都合よく再現しているということでしょうか。極端に言えば各生命体の数だけ異なる存在として受け取られているかもしれません。


 認識できている状態が意識であり、物が生じたり滅するわけではありません。認識できている人にとって存在があり、その人が認識できなければその人にとって存在はないということになります。


 


<注:勝手な個人的な見解の部分がありますので、鵜呑みにせずに実証実験によって確証することをお願いいたします。引用もしくは酷似表現の場合は、タイトル及びアドレスの明記をお願いいたします。>