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イマジンー2 [イマジン]

Imagine there's no countries

It isn't hard to do

Nothing to kill or die for And no religion too

Imagine all the people Living life in peace

You may say I'm a dreamer

But I'm not the only one I hope someday you'll join us

And the world will be as one

国がないことを想像してみて

そんなに難しいことじゃないさ

国のために殺したり死ぬこともない そして宗教もない 想像してみて 

誰もが平和に生きている

夢想家と言うかも知れない

僕は一人じゃない

あなたも一緒になれば きっと世界は一つになるよ

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 私たちは望んで生まれてきたわけでもなく、気づいたら人間という得体の知れないものとして存在していて、◯◯国の◯◯人として生きています。最初から◯◯人というレッテルが貼っているのではなく、社会システムの中で教えられるようになっています。

 社会的な「私」は、身につけるものや所有するものと自己同一化するようです。また、所属する団体や国というものに同一化していきます。良いとか悪いとかの議論ではなく同一化する性質をもっているようです。国を誹謗中傷されたりすると自分を攻撃されたように感じることもあるようです。スポーツで国の威信を賭けて戦い勝利すると自分が勝ったように誇らしく感じることもあります。

 国を代表する政治家であればなおのこと、国際社会での発言力や存在感を示したいものです。国という実体のないものに人格的な同一化をしています。国というものを自分と同一視して劣等感やプライドさえもつことになります。行き過ぎると力を見せつけて支配したいと思うようになり、最終的に戦争へと舵を切ってしまったということが歴史的事実にあります。

 自分かわいい(=愛国心)を喚起し始めたら危険な兆候だと思わなければなりません。

 幸福度ランキング1位のフィンランドという国のシステムや「寛容性」を学ばなければならないかもしれません。国会議員の半数近くが女性であり、現実の生活者の視点が生かされているかも知れません。国の富よりも国民の生活の質の方が優先されているからかもしれません。

 宗教は教理を信じることですから、教理に反することは受け入れずに排除することになります。何かを信じている限り解放や自由があるでしょうか。我々が目指すところが「解放と自由」なのに、「支配と束縛」を信じているという矛盾の中にいるのではないでしょうか。

 誰にでもフィットする服(=教理)があるでしょうか。教養やアイデンティティや環境や風習や年代を問わず誰でも理解でき当てはまる教理とは幼児と学者が理解できる(=ピッタリ合う服=教理)なら驚きです。服(=教理)を脱ぎ捨てて自由に大海原で泳げる自分を想像してみるのもいいかもしれません。他から教えられる事なのか、自身で理解すべきことなのかどちらなのでしょうか。

 政治と宗教が合体したら大変なことになります。信じていること以外を排除するのですからすぐに対立が起こり徹底的に排除することになります。これも歴史を紐解けば明白なことのようです。


<注:勝手な個人的な見解の部分がありますので、鵜呑みにせずに実証実験によって確証することをお願いいたします。 引用もしくは酷似表現の場合は、タイトル及びアドレスの明記をお願いいたします。

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