イマジン−1 [イマジン]
Imagine there's no Heaven
It's easy if you try
No Hell below us Above us only sky
Imagine all the people Living for today...
天国はないと想像してみて
そんなに難しいことじゃないさ
下に地獄なんてないし
上には見渡すかぎりただ空が広がっているだけ
想像してみて
誰もがただ今日という日を生きている
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言葉や記号や絵や音符や図面は人間がイメージを共有したり他に伝えることのできる発明品のようです。現実に存在していないものを作り出すためにイメージが使われます。イメージを使って、現実の物質に働きかけて熱したり削ったりという加工によって現前させることができます。
イメージ力が現代の社会を作り出してきたと言っても過言ではないかもしれません。イメージ力は現実を変革してきたし、これからも現実を変化させていく力をもっているようです。
Imagineは今ある現実から、あるべき現実へと変革をもたらす力を秘めているのではないでしょうか。我々はイメージしながら歌い、イメージしながら聴くことで現実に働きかけることができます。
社会的な「私=自我」は肉体の死によって意識が断絶することを理解しています。生の感覚が素晴らしいことを知っているので、死を極端に恐れます。死を概念で克服するには、永遠の「生」という概念が救いとなります。さらに傷つくことのない「魂」や理想世界である「天国」という概念が安心をもたらしてくれます。 世界にあるどの◯◯教でも、過去の教理を頑なに守り続けています。時代も環境も科学技術も社会制度も人自体も変革しているのに教理は昔のままであり、現実を教理に合わせるように都合よく解釈してます。信じている集団ごとに神がいて、神の概念も異なっていて神が乱立しているようです。
「全知全能である」という人間の身勝手な都合の概念で作られているので、矛盾した神にならざるを得ません。 「全知全能で善なる神」から苦しみや争いの絶えない世界が作られているのは何故でしょう。教理に従わないあるいは反する人間は悪であり、信じる者だけが祝福され正義となっています。
歴史的な事実として、魔女狩りや宗教戦争が一番残忍な蛮行であと断罪されるのは歪めることができないようです。信じるという名のもとに行動している人に悪魔が乗り移ったかのように感じるかもしれません。 天国という餌で釣って、地獄という恐怖で逃れさせないようにしていると指摘されるのも否定できないような気もします。
<小話> Aさんは敬虔なる◯◯教の信者であり、戦禍に巻き込まれました。◯◯教では約束された安住の地を確保するという大義名分のもとに闘っていました。Aさんは大変勇敢であり、多くの敵を排除して勲章までもらう功績をあげました。ついに寿命もつきて審判の日がやってきました。
「あなたの生前の善行は?」と問いただされたので、ここぞとばかり自らの功績をまくし立てました。「私は誰よりも信心深く、いつも教えの言葉を唱えていました。△△教の人も多く葬ってもきました。他の教えには見向きもしませんでした・・」
「地上こそ神の国である、血に染めたのは許しがたいことである。」・・・ 未来(=天国や地獄)のために生きているわけではなく、今日という日を生きています。生の感覚を味わう。◯◯教の教理を信じることだけが人生? 文字ではない目に見えない繋がりがある。今生きている人と分かち合い、受け入れることで満たされている。天国の執着から開放され、地獄という束縛からも開放されて自由に生きている。そんなイメージでいるのもいいかもしれません。
<注:勝手な個人的な見解の部分がありますので、鵜呑みにせずに実証実験によって確証することをお願いいたします。 引用もしくは酷似表現の場合は、タイトル及びアドレスの明記をお願いいたします。>