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荘子ー9 [荘子]

 ①さて、ことばというものは、口から吹き出す単なる音ではない。ことばを口から出すものは、何事かを言おうとするのである。ただ、②その言おうとする内容が、人によって異なり、一定しないところに問題がある。 もしことばの内容が一定しないままに発言したとすれば、その言ったことが、はたして言ったことになるか、それとも何も言わなかったことになるか、わかったものではない。

 たとえ自分では単なる雛鳥(ひなどり)のさえずりとはちがうと思っていても、はたして区別がつくかつかないか、あやしいものである。

 それでは、道は何におおいかくされて、真と偽の区別を生ずるのであろうか。ことばは何におおいかくされて、是と非の対立を生ずるのであろうか。もともと道というものは、どこまで行っても存在しないところはなく、ことばというものは、どこにあっても妥当するはずのものである。それが、そうでなくなるのはなぜか。ほかでもない。

 道は小さな成功を求める心によってかくされ、ことばは栄誉とはなやかさを求める議論のうちにかくされてしまうのである。

 だからこそ、そこに儒家と墨家との、是非の対立が生まれれる。こうして相手の非とするところを是としたり、相手の是とするところを非としたりするようになる。もしほんとうに、相手の非とするところを是とし、相手の是とするところを非としようと思えば、是非の対立を越えた、明らかな知恵をもって照らすのが第一である。

「引用:世界の名著 老子・荘子 中央公論社 P176 」斉物論

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②その言おうとする内容が、人によって異なり、一定しないところに問題がある。

 言おうとする内容が一定しないのは、各人の成長過程で獲得した観念の相違であることであると推測できます。「私=自我=固定観念」が正義であって「自分かわいい」が主として働いていることを認識していればいいのですが、認識できないと我を張って「葛藤」することになるのではないでしょうか。

 右手と左手・右足と左足・右肺と左肺・右腎臓と左腎臓・右目と左目・右耳と左耳・・左右対称で一対であり一体なるものにどちらかの優劣や善悪であるとの判断を下すことができるでしょうか。

 自身の体で左右があるという見かけ上の分離を見ることができます。しかし、見かけ上であって本質的な分離はないようです。左右が均等であり、差別なく一体となって働いていることを見れば争う必要もありません。  二つの物理的な眼で見ていても、景色は二重には見えません。二元対立の見方(=左派右派・善悪・美醜・是非等々)となっても、本質はただ「あるがまま」で存在しています。最初から善悪のラベルが貼ってものなど一つもありません。


<人によって伝えたい内容が異なるのは>

1.万物斉同での「本来の自己」からの視点がないかぎり、社会生活において「私=自我=アイデンティティ」が優位に働いています。それぞれが異なる「影の世界」(=社会生活のために構築した「私」)を持っていて、同じ情報が入力されても異なるフィルター(=影の世界)での分別(=出力)があります。

2.社会生活で働いている「私」は、固定観念によって「こうすべき」「こうあるべき」と自らの意見の正当性を主張することになります。

3.話す言語の違いによって、言語が持っている語彙によって解釈されるようです。フランス人は多彩な心情の表現ができるようです。 例:素敵に感じたときに:心を揺さぶられた、五感に衝撃を受けた、高揚させられた、雰囲気を盛り上げた、また来たくなる、もてなしが一味違う、華やかにさせてくれる、エレガントに立ち回っていた、ワクワクさせてもらった、天にも昇る気持ちになった、色の組み合わせに驚かされた、空気感がピッタリあった、控えめな音楽が好感度をあげた、秀逸な味、季節感を味わえた、歴史をしっかり受け継いでいた・・・・

4.自身の感情や気分によって左右されることもあります。

5.周りの人の意見に従ったり影響をうけて、自身の思いがそのまま表現できないこともあります。

6.誰に話しかけているのかで話す内容も異なります。 部下、同僚、上司、友人、親、近所の人、専門家、見しならぬ人、姿の見えない人・・相手の能力に応じて内容を変えて伝える。

7.社会的状況・環境変化に応じて内容を変えざるを得ないこともあります。  同じ状況にいて、同じ情報を受け取って(=同じものを見たり、聞いたり、食べたり、感じたり・・)いても、異なった感覚となるようです。


 社会生活での「私」だけが働くのならば、固定観念というフィルターを通して自動的に分別されてしまいます。頭で処理され出力される言葉は、各自の持ち合わせている語彙を組み合わせて思考され、一定しない内容となるようです。  受け取る人(=聞き手)が伝える人(=話し手)の真意を理解できなければ、鳥の囀り(=意味不明の音)を聞くのと同じになってしまうようです。

「自分のことのみ考え、あらゆることに自分の利益を求めるものは、幸福ではありえない。自らのために生きんと欲するなら、他人のために生きよ」セネカ


<注:勝手な個人的な見解の部分がありますので、鵜呑みにせずに実証実験によって確証することをお願いいたします。 引用もしくは酷似表現の場合は、タイトル及びアドレスの明記をお願いいたします。

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