So-net無料ブログ作成

無明−16 [無明]

 私たちは地球上で、一つの生命体として生きています。この現実と事実を否定したら、私たちには考察する糸口はありません。当たり前なのですが当たり前すぎて考察しないという選択肢もあります。直感で解っている人は無用な考察かも知れません。  生きているとう大前提の中で、しっくりこないことがあれば一度立ち止まって考察してみましょう。


<メイン考察>

・我々は自由意志で行動しているのか? <サブ考察>

・小さなモノが大きなモノを制御したりコントロールしているのでしょうか?  海水の一滴が、全ての海流であったり潮の満ち干きを制御したりコントロールできることはありません。試しに海水の一滴を取り出しても海流が変わったり潮の満ち干きが変化することはありません。

 海水は地球創成という宇宙的規模の偶然(=結果からみれば必然)によって地球に海水が現前しています。端的に言ってしまえば宇宙が海を創ったと集約できます。

 同じように生命の一つ(=例えば一匹の蟻)が地球を制御したりコントロールしているということはありません。生態系の中で一本の花が枯れたとしても、地球の自転や公転や銀河系そのものが変化することはありません。  今この地上に存在しているあらゆるものは、宇宙的規模での特殊条件によって存在することができています。小惑星の石ころを調べるよりも地球そのものを調べたほうが安価で確実だと言っている人もいます。優秀な科学者・化学者であれば、喫緊の問題であるプラスチックゴミの解決のほうに力を注いでもらうほうがありがたいのですが・・・

「灯台もと暗し」の例  

  エンジンが壊れた船が何日も漂流していました。数日前に水が底をついて死を覚悟するまで追い詰められていました。夜が明けて辺りが白々としてきた時、一人の船員が小舟を見つけました。小舟に乗っている人を見ると自分たちとは明らかに違っている人種のようです。言葉が通じないと思い「水、水・・」と必死にジェスチャーを交えて大声で呼びかけました。小舟の人は訳のわからない言葉と訳のわからないジェスチャーと必死の形相を見て「水」だとすぐに理解できました。小舟の人は、人差し指を下に向け腕を振っています。

 船の人たちはすぐには理解できませんでしたが、小舟の人が手で水をすくって飲んで見せました。

 そう、彼らは海ではなく両岸も見えないほど広い川に漂っていたのです。すでに求めるものに囲まれていたということです。

 すでに「ここ」に答えがあるのに探し求めていたということです。探究することはなかったのでした。

----

 一滴の海水が海を動かしていません。一本の木が森を作っていません。ひと粒の砂がサハラ砂漠ではありません。一部であって「それ」ですが、「それ」全体を知ることはできませんし「それ」を制御したりコントロールすることもできません。

 我々が宇宙(=「それ」)を動かすことはできません。海が地球を回転させている訳でもありません。  宇宙(=エネルギー)があらゆる存在を動かしているし動きそのものです。宇宙に銀河があり宇宙が銀河を動かし宇宙が動きそのおもの、宇宙が太陽系の惑星を動かしている。宇宙によって太陽が活動させられている。太陽系が地球を公転させ自転させている、地上では太陽によって生命活動が維持されています。

 生命活動によって我々は活動できている。日が昇れば自動的に目が覚め日が沈み暗くなれば自動的に眠くなり就寝する。お腹が空けば否応なしに食物を補給する、食物を生命エネルギーに変換して生きている。排泄物が貯まれば排泄する。どこかが痒くなれば自然と適度な力で掻く。

 我々が地球を動かしているわけではなく、宇宙そのものがエネルギーであって、地球が存在していてます。地球が命を育み、地球が生命を動かしているといっていいのではないでしょうか。その生命の一つが人間であり、日本に住んでいる人間も動かされている。日本の◯◯県に住んでいる◯◯さんも動かされている。エネルギーは動きであり、すべては宇宙の力(=エネルギー)で動かされている。

 今ここでパソコンの画面を見ることができる何らかの力(=エネルギー)は宇宙の力(=エネルギー)と言って語弊があるでしょうか。


 私たちがの全ての行動や動きは、元をたどれば宇宙(=エネルギー)です。つまり、あらゆる事象や現象や自身の何気ない仕草や行動や思考や五感も全て宇宙がやっています。あなたの呼吸も手を叩くこともキーボードを打つことも鼻歌を歌うことも貧乏ゆすりも会話も爪を切るのも全てが宇宙がやっているということです。  私が動いているというより宇宙が動いている。あらゆる生命や事象や出来事の動きそのものが宇宙であり宇宙の動きが現れているのではないでしょうか。


 人間の一つの細胞が動くから人間全体が動くのではなく、人間が動くと同時に身体の中の細胞も一緒に動きます。人間が動くと(=例えば食べると)、口が動いて胃が動いて腸が動いて胆嚢や膵臓や様々な臓器が連動して動きます。そして細胞の生滅が繰り返されています。フラクタル(=部分と全体が自己相似(再帰))であり、小宇宙は大宇宙と同じであると推測できます。

 自身の体内での細胞の生滅が気に滅入ることはありません。宇宙(=全体)も我々の生死は当然のことであって、全体がいちいち気にかけることではありません。今現在1年で5500万人、1分で100人程度の人が死んでいますが、日本では1分で3人程度死んでいるようです。人の死が悲しいのならば、常に悲しんでいなければなりません。しかし、勝手なもので自身に関係のある人の死だけが悲しいだけなのです。生きているとうことが有り難い、稀なことであると感じているということではないでしょうか。

 全体(=存在)が人間の生死に対してどうのこうのがあるでしょうか。生まれた瞬間に、死ぬことは確実なのですからそう深刻に考えても解決しません。答えが出ているのですから問題になりません。それよりも、生きている感覚(=私はある)ということの実感です。

 地球上で起こっているあらゆることは宇宙が動かしている。動いていることが宇宙そのものの表現と考察してみて下さい。宇宙が動かしていなければ何によって我々は動いているのでしょうか?

 一切の動きや一切の事象や出来事が宇宙の現れでないとしたら?宇宙の外からの何処かからの指示を受けていると考えることもできます。この思考さえも宇宙の力の恩恵かもしれません。


<注:勝手な個人的な見解の部分がありますので、鵜呑みにせずに仏道修行による智慧によって確証することをお願いいたします。 引用もしくは酷似表現の場合は、タイトル及びアドレスの明記をお願いいたします。

nice!(22)  コメント(1)