So-net無料ブログ作成

十牛図4−1 [十牛図]

第4図.得牛(牛をつかまえる) ①その牛は、長いこと野外の草むらにかくれていて気づかなかったが、今になってようやく会うことができた。 ②しかし、その喜びの心境は、「牛に出会えた」ということで満足してしまい、かえって牛に追いつくことを難しくするし、また牛のほうでも、すきをみては香りのよい草を求めて草むらに逃げていこうとしてしまう。 ③やっとの思いで牛をつかまえてはみたものの、その心はかたくなで勇猛であり、いまだ野性のままである。 ④この牛を飼いならそうと思うのなら、ムチを使って、いましめなければならない。 --- ①その牛は、長いこと野外の草むらにかくれていて気づかなかったが、今になってようやく会うことができた。**  牛(=混乱の原因)は自分自身ではなく、他人が原因であると決めつけていました。自分自身が苦の原因であるなど考えたくありません。自己正当化という自己欺瞞によって自己をなりたたせていました。  「わたし」を苦しめていたのは他人であり社会制度が悪く政治が悪いはずでした。「わたし」を苦しめるのは他人であり、「わたし」を理解できない他人が悪いのです。「わたし」の言っていることを受け入れない上司や同僚や部下によって「わたし」だけが割をくっています。家族であってもちょっとしたことで気分を悪くします。世の中のすべてが間違っていてわたしだけが正しいのです。という自己中心の考えです。  「わたし」の人格を否定するようなこと言っている。「わたし」の思い通りにならない。「わたし」を認めてくれない。  このように何でもかんでも他に原因があると決めつけるなら、永遠に苦から逃げ回るだけの人生となってしまいます。  牛(=自我)は自分自身であり、今までの人生で構築してきた固定観念や信条で自己保身をしてきた自我です。自己保身プログラムですから、瞬時に反応する自動プログラムであり気づかずに反応します。プログラムを実行している「わたし」など存在しません。  侮辱的な態度や言葉を関知すると、自動実行プログラムによって自動的に反応するようになっています。反応後にしらふになると、人間脳が働いて慚愧の念が湧くことがあります。  野外の草むらとは、五感で感受するものを意(=思考)で解釈して自分の都合のいいように解釈して作る自己保身プログラムです。自己保身のために働くものですから否定することは自己否定になります。この自動反応プログラムに気づくことは難しいのです。    過去の経験や自身の感情や感覚や思考が記憶されて牛(=自我)が構築されています。日々上書きされていますが、あくまでも自身の自身による自身のためのプログラムです。求道心によって自身の内側を見るよう訓練すれば、自我の自己欺瞞に気づくことができます。  人生は不安の連続です。なぜなら常に知られざる未知があります。あらゆることが無常でありエントロピーの増大によって確実に消え去るからです。四苦八苦の当たり前のことさえ認めたくないのです。この世で何かを達成できるという思いを諦められずに抵抗するからです。潜在意識の中にある煩悩(=生きたい、死にたくない、願いを叶えたい、無常を理解できない)に突き動かされているからです。 ②しかし、その喜びの心境は、「牛に出会えた」ということで満足してしまい、かえって牛に追いつくことを難しくするし、また牛のほうでも、すきをみては香りのよい草を求めて草むらに逃げていこうとしてしまう。**  自身を苦しめていたのは自分自身で作っていた「固定観念・思い=思い通りにしたい」だったと気づけるようになってきました。「牛に出会えた」というのは、いつも自身を護るために働いていた貪・瞋・痴の煩悩そのもの。「思いの通り」にしたい衝動が牛であった。 「わたし=自我(牛)」と他が存在して他を何とかしようという葛藤があるということまで気づいてきました。この気づきに満足したまでです。  自身の思考(=牛)が問題であるから牛(=思考)を追いかけ、思考の本体を見なくてはいけない。思考している自分をまた別の思考で分かろうとする、ただの堂々巡りであって結論はでません。  牛に追いつくとは、牛(=自意識の思考)を思考でつかもうとすることです。思考が問題なのに思考で解決できるわけがありません。  毒を飲んで苦しんでいるのに毒を与えるようなものです。薬物中毒患者に薬物を投与するようなものです。  牛(=自我)は香りのよい草(自己正当化する都合のいい観念)を求めます。自己啓発セミナーやスピリチュアルの講義やあらゆる精神的な欺瞞を助長するようなものを求めます。他人任せであり、自身ではなるべく労なくエッセンスを得たいだけ。知識を得たところで自我は強くなるばかりです。  自己の欺瞞から逃れるために他者の知識から簡単に得られるようなものでお茶を濁そうとします。  「わたし」は修行しているという自己正当化によって牛(=問題を作り出す自我)は存在感を保つことができます。見抜かれないように潜在意識の中でこっそりと煩悩と手を結びます。牛はいつまでも、慣れた生活習慣のままでいたいのです。 ③やっとの思いで牛をつかまえてはみたものの、その心はかたくなで勇猛であり、いまだ野性のままである。**  人生で様々な経験や知識や観念で構築されてきた潜在意識があります。自己保身と自己保存のために働いていて、自身のいのちを守っています。自身の身のためなら何でもします。感情と結びついたら大きなエネルギーを発揮します。間違っているといって、はいさようならとはいきません。幻影でありながらも、自身がコツコツと積み上げたものです。おいそれと姿を消し去ることはできません。  人間脳(=顕在意識)では太刀打ちできない野生(=潜在意識)の力が備わっています。  人生で自らが構築してきた固定観念を自らが否定していくことは並大抵のことではありません。自身のステータスを壊すのですから大変な勇気が必要なのです。それには素直に自己のすべてが間違っていたと懺悔するほかありません。一度全部投げ捨てて「素」になるということです。一切転倒して自我に頼ってきたのです。  潜在意識(=哺乳類脳・爬虫類脳)は太古の昔から生命維持の為の働きを任せられて休むこと無く働いています。人間脳(=理性)のちっぽけな力で押さえ込むことはできません。気に障ることがあれば、チョットのことで感情は爆発してしまいます。 ④この牛を飼いならそうと思うのなら、ムチを使って、いましめなければならない。**  牛(=潜在意識)を変えるには、習慣づけしなければならない。身・口・意を使ってムチ打つしかありません。行為を慎み、言葉を慎み、思いを慎む。  人生で構築してきた行動パターンや固定観念や信条や思い込みや反射的な反応が色々あります。  人間脳(=顕在意識・大脳新皮質)が潜在意識(=哺乳類脳・爬虫類脳)に変革をもたらすには身体から潜在意識に働きかけなければなりません。 身体を自制できない人がどうして心を自制できるでしょうか。  いままで動き回って過ちを犯してきたのですから止まることです。とにかく身体をある一定の時間止め続ける。ただただ止まる、止まるままにする。 <注:勝手な個人的な見解の部分がありますので、鵜呑みにせずに仏道修行による智慧によって確証することをお願いいたします。 引用もしくは酷似表現の場合は、タイトル及びアドレスの明記をお願いいたします。

nice!(0) 
共通テーマ:学問