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十牛図2−1 [十牛図]

第2図.見跡(牛の足あとを見つける) ①お経によって仏法の意味を理解し、教えを学んでようやく牛の足あと(自分を知る手がかり)に気づいた。 ②お経を読むと、どんな形の器でも、もともと同じ金属でできているように、あらゆるものの存在が自分とつながっている、ということが分かる。でもそれは、お経に書かれてあることを理解できたというにすぎない。 ③何が「正しく」て、何が「間違い」なのか、はっきりとわきまえることもできないのに、お経に書かれていることを鵜呑(うの)みにして、本物と偽物をどうして見分けることができるだろうか。 ④自分の頭で考えていないこの段階では、まだ禅の門に入っていない。(牛そのものを見つけていない。)とりあえず、「足あとを見つけた」ということである。 -- ①お経によって仏法の意味を理解し、教えを学んでようやく牛の足あと(自分を知る手がかり)に気づいた。**  「本来の自己」は自己そのものであり、何処かに探しに行くものではありません。お経には祖師からの教えが書かれていますが、全てが自身の為に書かれたものではありません。得るとか掴むことのできない心である牛(=無意識)を探さなくてはならない。  雑念が次から次へ湧いてくる自身がいる。これが今の自分自身である。混乱している自分自身は「本来の自己」であろうか?自分を客観的に見ることができたということは牛(=混乱の原因)の存在(=足跡)に気づくことができた。 ②お経を読むと、どんな形の器でも、もともと同じ金属でできているように、あらゆるものの存在が自分とつながっている、ということが分かる。でもそれは、お経に書かれてあることを理解できたというにすぎない。**  同じ時代であっても、同じ人生を生きている人などいません。しかし、我々は同じヒトであり同じ脳の構造をしています。本能である煩悩につき動かされ悩み苦しんでいます。誰にでも等しく仏性があるにもかかわらず、清浄な心となっていない自我を通して反応しては苦しんでいます。「衆生本来仏なり」  ヒトが異なる社会状況に存在してても思い巡らすことは同じようなことです。五感や五蘊の働きは同じであることは変わりようがありません。お経に書かれていることを読んで己と照らし合わせて理解不能なことはありません。しかし、ただの言葉で書かれたことであり知識として理解したにすぎません。同じ五感を持っていながら分別に振り回されている人と、非思慮の人がいます。同じ目であるのに、単に煩悩のフィルターを通して分別しているということに気づけるかどうか。 ③何が「正しく」て、何が「間違い」なのか、はっきりとわきまえることもできないのに、お経に書かれていることを鵜呑(うの)みにして、本物と偽物をどうして見分けることができるだろうか。**  あらゆる事象に対して判断するのは、己の知識や教育や経験に基づく「観念」です。この勝手に作り上げた「観念=思い込み=身びいき」で正否を判断しているにすぎません。お経は世俗諦の観念から離れニュートラル(=中道)な目で現象を観察できるように導いています。  我々が「三つ子の魂」と言われるものを持つことで、真実から離れた誤ったものの見方(=フィルター)で見ているということです。  この世は「思いの通りにはならない世界」なのに「思いの通り」を願って自らが自らを苦るしめています。この世(=現実)と脳での妄想(=こうなって欲しいという願望)にギャップがあることをどうしても認めたくない己(=自我)の声によって葛藤し混乱して苦しんでいます。これも自己保存の当たり前の本能(=潜在意識)の強制力のなせる力です。  老いる事のない「いのち」、病にならない「いのち」や死ぬことのない「いのち」など一つとしてありません。自然の有り様を理解せずに脳はただ生存したいと自然の営みが自身に当てはまることを認めたくありません。いくら本能(=爬虫類脳・哺乳類脳)が逆らっても、我が身が生まれたからには「老病」に従わざるをえません。「死」も自然なことの些細な一つの現象です。 ④自分の頭で考えていないこの段階では、まだ禅の門に入っていない。(牛そのものを見つけていない。)とりあえず、「足あとを見つけた」ということである。** 経典にかかれていることを学んでいるだけで、学んだことを体験して智慧を育んではいません。「本来の自己」が自己と離れた経典の中にあると思っています。言葉や知識で解るはずだと思いこんでいます。  今まで生きてきて思考を使って成し遂げてきた。これからも思考によって成し遂げられるという思い込みから離れられません。何時までも知識だけが頼りであり知識に依存しています。実践よりは聴聞によって得たほうが簡単なことである。  他人の智慧を拝借して頭で了解しても腑には落ちないと思います。心底納得することはないようです。足跡を見つけたことは、ただの案内書を読んだに過ぎません。牛(=混乱の原因)そのものはまだまだ見つけられていないことを承知しておくことです。「門より入るものは家珍にあらず」をよく理解する必要があります。 <注:勝手な個人的な見解の部分がありますので、鵜呑みにせずに仏道修行による智慧によって確証することをお願いいたします。 引用もしくは酷似表現の場合は、タイトル及びアドレスの明記をお願いいたします。

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