ただ◯◯が難しい [気づき]
ヒトは生まれてしばらくは、口・目・鼻・舌・耳・手足がどこにあるのかサッパリ分からずに手足をバタバタと動かしているだけです。大人になったとしても胃・肝臓・膵臓・腎臓・・・がどのくらいの大きさでどこにどのようにあるのかサッパリ分かりません。臓器やホルモンがどのように働いているか分からずに平気で生きています。自分の身体といいながら自分のことを制御できているとは言えないようです。自分の臓器を逐一制御している自分がどこにいるのでしょうか。どこを探しても自分という確固たるモノはどこにもみあたりません。私達が”自分”と言っている”自分”はこれだと指摘してくれる人はいません。あなたの性格・体型・血圧・血液検査での数値・・・は恒常不変ではなく常に変化していて変化が止まることはありません。恒常なる自分はどこにもないということになります。”川”の流れを”川”と呼ぶことはできないのですが”川”であると言い張っているのと同じことです。
名前(=川)は同じですが瞬間瞬間に異なっている自分(=流れ)ということになります。流れはありますがその瞬間だけです。流れはあるようでない、ないようである。非有非無
赤子にとって、どこかに音があるのではなく、突然に自身が音(声・物音・虫の鳴き声・・・・)そのものになります。どこかに光景があるのではなく、突然に自身が光景そのものなります。何かを味わうのではなく、突然に自身が味そのものとなります・・・・。どこかに対象があるという認識がないので、主も客もない主客未分のままの感覚。”自分”は作られていいないので、どこかに音があって、その音を聞いている自分があるというプロセスはできていません。
感受された感覚・感情がありますが、感覚・感情を出力するためにはただ声を張り上げるしかありません。
成長するに従って、僅かながら手足を動かせるようになっていきます。生命として在るということは、生き続ける能力が備わっているということです。自己保身が自然に働くようになっています。自己保身のために周囲の状況を知り、自己がどのように振る舞うかを決めなければなりません。自分と知るべき世界(=対象)に分けて見る癖がつくようになります。近づくべきか離れるべきかを決めて行動しなければなりません。”自分かわいい”が第一である”私”という仮想の自己が確立されていきます。
子供は、日々名前で呼ばれ続けるます。名前が自分であると刷り込まれてしまいます。存在が先にあって名前が後ですが、名前が先で存在(=自分)が後となっても不都合を感じなくなります。存在があって名前があるのに、名前のついた存在があるというふうに世界を解釈する癖がつきます。
「これは何と言う名前ですか?」名前を聞くことで存在を知ったことにしてしまっているかもしれません。”ロサ・アルバ”という名前を知ることと、目の前の花を見ることは全く異なります。
名前によって切り分けられて、切り分けられた集合物が世界であという見方に変わるかもしれません。眼の前の存在そのものを感受することよりも、知識として知っていることのほうが優れているかのようになってはいないでしょうか。
子供の頃は”私”は身体と名前だったものが、大人になると”私”にさらなるモノがつけ足されます。”私”は複雑化して、どの”私”のことなのか迷ってしまうくらいになります。固定観念・経験・アイデンティティ・信念・信仰・所有物・知識・・・様々なモノと結びついた”私”が出来上がります。
一番困るのは、”考え”を”私”としていることです。”考え”は単なる”考え”であって物理的な目に見えるモノではありません。”考え”の背後に”考え”を制御している”私”がいる勘違いしています。”考え”自体が自分であると決めつけていないでしょうか。”考える”から自分があるのに、”考え”で自分を無くすことはできません。
ただ見えている、ただ聞こえている、ただ思っているだけなのに、自分が思っていると勘違いしてしまったようです。”思い”を制御できるのなら、嫌なことを思わないようにできてもいいのですが・・・。
自然の道理(生・老・病・死)は、頭では理解できるのですが素直に受け入れられない。我が身が自分であると頑なであれば、我が身に起こることは自分を苛むことになり”苦”となるのは当然のことです。全てに隔たりがなく一切は繋がっています。”こうあってほしい”・”こうあるべき”という自分(=我)が不自然であるので苦しむことになります。頭で描く(=幻想・妄想)ことと事実は異なっていることは分かってはいますが、解って(=腹から解る)はいません。思考して自然の道理を解決することはできません。思考に頼らずに身体で納得するには、思考に手をつけずにいるしかありません。余計な分別をせずに、ただ見えている、ただ聞こえる、ただ思いがある、ただ動いている、ただ食べている、ただ歩いている・・
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<注:勝手な個人的な見解の部分がありますので、鵜呑みにせずに実証実験によって確証することをお願いいたします。引用もしくは酷似表現の場合は、タイトル及びアドレスの明記をお願いいたします。>
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