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老子-71 [老子]

知不知上、不知知病。夫唯病病、是以不病。聖人不病。以其病病、是以不病。

 

知っているよりも、知っていないことを知っているということのほうが上です。知っていないのに知っているというのは病です。病を病と分かっているのであれば、病ではない。聖人には病はない、病を病と分かっているから、病ではない。

 

<他の翻訳例>

 知っていても(じゅうぶんには)知っていない(とみずから考える)ことが最上である。知らないのに知っているとすることが欠点である。欠点を欠点とするゆえにこそ、欠点とはならない。聖人には欠点がない。自分の欠点を欠点と(自覚)する。それゆえに(欠点はあっても)欠点とはならないのである。

「世界の名著 小川環樹 訳 中央公論社」小川環樹:京都大学名誉教授 中国文学者

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 ソクラテスの言葉で「無知の知」と「汝自身を知れ」ということが同じことを言っているそうです。無知は赤子のように何も知らないということなので「不知の知」の方が適切のようです。であれば「知不知」と同じになります。

 生命体が何を知りたいのかといえば、自身の置かれた状況をいち早く知りたいのではないでしょうか。現在の状況の情報を探り、どう身を処せばいいのかの判断材料が必要です。生命体には、”生き抜いていく”ための「知」・子孫を残すための「知」が本能に備わっています。

 動物は危険を知らせたり求愛の為に自己アピールします。何らかの音や身振りで意思を伝達しています。人間は声帯で「言葉」を操り、それを形で表す「文字」を作り出しました。「言語」を組み合わせることで「概念」を構築し、新たな「語彙」を日々作り続けています。

 新たに作り出した「概念」によって理解を促すこともできます。「言葉」を使うことで思考することができます。

 私達は、思考する以前に事実を直知しています。考えて事実が現れることはありません。事実が先で思考が後です。既に真理のまっただ中にいて真理そのものを日々体験しています。「言語」で真理を探求すということは、海中にいる魚が”海水”とは何かと問うようなことかもしれません。

 

 現在では「知らない」ということは、調べる努力に差があるだけで知性の問題ではないようです。あらゆることにアクセスできる環境が整っていて、専門用語の壁をクリアすれば何でも「知る」ことができます。「知らない」というのは「知らない」をそのままにしているというだけのことかもしれません。

 

<注:勝手な個人的な見解の部分がありますので、鵜呑みにせずに実証実験によって確証することをお願いいたします。引用もしくは酷似表現の場合は、タイトル及びアドレスの明記をお願いいたします。>


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