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荘子ー21 [荘子]

いま、有と無の差別さえ、その実在が疑わしいことを述べた。とするならば、大小の差別などは、もちろん問題にならない。

 だから天下には、秋のけだものの毛先の末より大きいものはなく、泰山はちいさいものだとか、幼くて死んだこどもがいちばん長生きをし、七百歳まで生きた彭祖(ほうそ)は若死にをした、などという逆説も可能である。さらにつきつめていえば、永遠の天地も、わがつかのまの人生とひとしく、かず知れない万物も、われひとりにひとしい、ということもできよう。

 このようにして、すべては一つである。一つであるとすれば、対立差別を本質とすることばを用いて表現することは不可能であるから、「一つである」ということも、さしひかえなければなるまい。しかし「一つである」ということを表わすには、ことばなしではすまされない。

 もしことばで表現することが避けられないとすると、「一つである」という事実と、「一つである」ということばが生まれ、あわせて二になる。この二を、最初の未分化の一とあわせると、三になる。このようにして際限なく数が加えられてゆくと、ついには計算の名人でも数えきれないほどになる。まして凡人の手には負えなくなるであろう。  このように無から出発して有に向かって進んでも、三つになるほどであるから、まして最初から有から出発して有に向かって進むならば、無限の多の世界にさまようほかはないであろう。

 多の世界に向かうことをやめよ。是非の対立を越えた自然のままの道に従うがよい。

「引用:世界の名著 老子・荘子 中央公論社 P188」斉物論

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 言葉を使って「有無」の根源をつきとめられない、ましてや大小などの区別・差別について語ることはできない。はるか彼方の太陽系の端から地球を見ればヒマラヤも石ころも高さを判別できません。我々の親指で簡単に太陽を隠すことができます。親指の方が太陽よりも大きいということを体験できます。人間は自らの体を尺度・基準として使っています。(「万物の尺度は人間である」プロタゴラス)自らの身体より大きければ大きい、小さければ小さい、速ければ速い、長生きであれば長寿としています。植物も鉱物も人間も宇宙の中の物質であり何ら変わることがないのに別のものとしています。本来は「一つ」であるものを、言葉を使うことで多様な存在として分離分割しています。

 時間について考察してみます。存在している物質に対しては長さや質量を計測できますが、時間は存在していないので1日を24時間として1時間を60分と便宜的に表しています。秒という振動をある時点から累積して時間としていますが、時間は物質や存在ではないので時間を掴んだり取り出したり変形させたり壊したり蒸発させたりはできません。液体は蒸発させたり冷却して固体にできるものがあります。固体は分解したり壊したり接合したり溶かしたりできるものもあります。

 時間は存在している物と同様に扱うことはできないようです。空間があれば動くことができるので、時間の概念が生まれたと言えるかもしれません。例えば大きなホワイトボード(=大きな空間や記憶領域)には30分前の文字を存在させたままで、空いている空間で作業(=文字を書く)ができます。小さなホワイトボードは30分前の文字(=過去)を消さなければなりません。広いホワイトボードであれば30分前(=過去の記憶=時間)と今が共存できます。

 時間は存在ではないので見ることはできません。ただ針の動きであったり液晶の数字でしかないのですが、時間であるとしているだけなのではないでしょうか。

 人類創生から今まで生きている人と、数十年前に誕生して生きてい人を思い描くことができます。両者の生の長さは異なりますが、今を生きているという事実には何の変わりはありません。同じ今をそのままに体験しているだけです。過去の記憶を比べることなく「今ここでの生」の存在であれば永遠も短命も異なることはないのではないでしょうか。


   現象を言葉でどうのこうの解釈することは多の世界に向かうことです。無明ー20のバーヒヤ経にあるように、ただ見えているだけでそれ以上でも以下でもないようです。見えたものを自分勝手に解釈して多の世界に迷い悩んでいるようです。五感で何かを得たり掴んだりして何かになるわけではありません。感覚は単に感覚であって、どれだけ感覚を貪って解釈してもある境地に達することは無いかと思われます。

 美しい風景は単に美しい風景で感動してそれでOK.素晴らしい演奏も素晴らしい演奏として聴いてOK.美辞麗句も美辞麗句でOK.社会的な「私」は多の世界で生きて様々な体験をしています。根本は「一つ」であると知っていて、多の世界で遊べればいいのですが・・。

 神さまゲーム、政治ゲーム、資源ゲーム、マネーゲーム、悟りゲーム、宗教ゲームなどのお遊びに興じるのもこの世での楽しみであって、誰も妨げる必要もなく自由に遊ぶことが許されています。

 できることなら根本の「一つ」をベースにして、対立を超えた観点をもってほしいと言っているのではないでしょうか。


<注:勝手な個人的な見解の部分がありますので、鵜呑みにせずに実証実験によって確証することをお願いいたします。 引用もしくは酷似表現の場合は、タイトル及びアドレスの明記をお願いいたします。> 

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