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荘子ー15 [荘子]

 心を労して、むりにすべてを一つにしようと努力し、実はすべてが自然のままに一つであることを知らないもの、これを朝三という。それでは朝三とは何か。  こういう話がある。あるとき、猿回しの親方が猿どもに栃の実を分配しようとして、「朝に三つ、暮れに四つでは、どうか」と相談した。すると猿どもははらをたてて「それでは少なすぎる」といった。そこで親方が「それなら朝に四つ、暮れに三つでは、どうかね」といったところ、猿どもは大喜びをしたという。名実ともに何の変わりもないのに喜怒の情がはたらくのは、自分自身のあさはかな是非の心に従うからである。  だから聖人は、是非の対立を和合させて、差別の人為がない自然の境地ー天鈞(てんきん)に安住するのである。別のことばでいえば、是も非もそのままに是認して、両者をそのままに行かせることーこれを両行(りょうこう)というのである。 天鈞:自然のままに、すべてをひとしいとする境地。 両行:是非のいずれかを取捨選択することなく、両者をそのままに放任する。 「引用:世界の名著 老子・荘子 中央公論社 P182 」斉物論 -------  名実ともに何の変わりもないのに喜怒の情がはたらくのは、自分自身のあさはかな是非の心に従うからである。 「朝三暮四」でも「朝四暮三」でも一日に食べれる総量は同じです。自らの固定観念(=朝四が是)に反した事は許せないというのが社会的な「私=自我」の特徴の一つでもあります。自身が保身(=自分かわいい)の為に構築してきた観念は簡単には譲れないのは当然のことです。誰でもが自身を是としているので、全員が是なのですから是しかありません。人が自身だけを見るなら全てが是であり、他と比較して受け入れられないのならすべてが非です。世界は是でもあり非でもあります。  「神はいる」「神はいない」「神はいるかもしれないしいないかもしれない」を考察してみます。  信心ができていない幼子には「神はいる」ということは言っている人には是です。  あまりに盲信しているひとに、「神はいない」と他に目を向けさせる人にとっては是として発言しています。  探求者に対して、「神はいるかもしれないしいないかもしれない」といって自身で探求してみてくださいと進言している人にとっては是としての発言です。  無神論者に「神はいる」、法王とか教皇に「神はいない」、死ぬ間際の人に「神はいるかもしれないしいないかもしれない」と言っても意味がないので非となります。  同じことを言っても、場所と時と状況と対象者によって是にもなり非にもなります。是でも非でもあり、是でも非でもない。  世の中には是も非もあり、是も非もない。善も悪も置かれた立場であり国が違えば自国の立場で思考させられているだけのことであって、善も悪もない。悪人は悪人の理があり、善人は善人の理がある。毒蛇や毒蜘蛛や毒クラゲは善でも悪でもありません。あくまで人間主体の危険を想起するために「毒」とつけられただけです。動物に悪人か善人の見分けはつくでしょうか。 「一人の殺害は犯罪者を生み、百万の殺害は英雄を生む。数が(殺人を)神聖化する」ポーテューズ  カナダでは大麻が合法化されているようです。昔は自然の植物をただ吸っていい気分になっていただけかも知れません。反社会組織の資金源を断ち、税収にしたほうが得策だとなり是となっているようです。ギャンブルもカジノも国の税収になりさえすれば、是となります。判断基準は勝手に決められ半数をちょっとでも超えれば是であり、下回れば非となってしまいます。是非など曖昧であって、時代や状況やそこで生きている人びとの勝手な都合かもしれません。  今の時代のこの国のこの状況に置かれている一時的なことでしかありません。自身の力で時代を変えることはできないようです。一々裁くことなく万物斉同の観点でおおらかにみてあげがほうがいいかもしれません。 <注:勝手な個人的な見解の部分がありますので、鵜呑みにせずに実証実験によって確証することをお願いいたします。 引用もしくは酷似表現の場合は、タイトル及びアドレスの明記をお願いいたします。

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センニン

ご訪問 & nice! ありがとうございました。
また遊びに来ます。
by センニン (2019-09-03 20:49) 

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