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荘子−1 [荘子]

 もし喜怒哀楽の情をもたらす根源がなければ、自分という人間も存在することはできないであろう。逆に、もし自分という人間が存在しなければ、その根源から喜怒哀楽の情を取り出すものもないであろう。とするならば、その根源と自分とは、至近の距離にあるはずである。

「引用:世界の名著 老子・荘子 中央公論社 P172 下段」斉物論

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情報(=光、音、匂い、味、感覚等々)は開かれた五感を通して勝手に入ってきています。情報は脳内で電気的・化学的な変化を伴って現実として捉えられています。

 各自の脳の各自の固有の感覚で受け取られた各人だけの唯一の感覚(=現実)です。各人が各人の世界を持っています。自分が他人の世界(=頭の中)に入ることもできません。他人が自分の世界(=頭の中)を覗くこともできません。山を描いても十人が十人ともまったく一致する絵を描くことなどありません。各自の頭の中にある「山」は異なっています。

 各自固有の五感から入ってくる情報が各自固有に処理されて各自の見えるまま見え、聞こえるままに聞こえています。自身が存在している証拠はまさに感受して感覚を自らが分かっていることにほかなりません。

 もし人間が存在しなければ、存在を存在として発見するこもなく存在から何かを感じ取ることはできません。また、存在から受け取った感覚を味わうこともできません。存在からの情報が自動的に入力されて感覚として根源(=意識)によってわかります。また、根源(=意識)によって感情や思考として出力できます。入力と出力のプロセスはほぼ同時に行われています。

 根源(=意識)を持った自分という人間の存在によって、存在が存在としてあるということがもたらされます。根源(=意識)を持った自分という人間が存在することで、存在が何であるかを見いだされています。

 存在を見出して、存在が何であるかを理解する。意識が意識を見出して、意識が意識のなんたるかを知っているかのようです。

 存在が存在を見つけることができなければ、存在が存在として在ることは永遠にわからない。存在が存在であるためには起伏(=振動、二元)がなければ感覚として捉えることができません。存在は苦も楽もただの振幅の山でしかないかもしれません。単なる左右の広がりであってプラスやマイナスで表現するのは人間の勝手な思い込みかも知れません。

<まとめ>

1.情報は五感を通して勝手に入ってきています。

2.情報を意図して遮断することはできません。 瞼を閉じれば光の情報は遮断できますが、耳栓でもしなければ耳からの情報は遮断できません。

3.各自が固有の五感と固有の感受によって固有の感覚を持っています。

4.意識がなければ存在を存在として認識できません。インプット

5.意識によって存在がいかなるものかを認識できます。アウトプット

6.存在は振幅(=二元)があることによって理解される。

7.振幅には良いも悪いもなく、単なる人間の概念によって定義づけされているだけ。

8.ある国の正義は、他の国の悪になります。見る視点によって異なって見えるだけで、本質はただのデータ。


<注:勝手な個人的な見解の部分がありますので、鵜呑みにせずに実証実験によって確証することをお願いいたします。 引用もしくは酷似表現の場合は、タイトル及びアドレスの明記をお願いいたします。

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リス太郎

難しい。(笑)
by リス太郎 (2019-08-07 13:13) 

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