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無明ー13 [無明]

「発見するための自己観察眼」 明歴々露堂々〈めいれきれき ろどうどう〉

 すべての存在は隠されてはおらず明らかになっています。すべての物事・事象は常に眼前に現われています。

 一切は隠されることなく露わになっています。我々が発見できていないだけのことです。

 重力そのものを見た人などいません。陸地を発見してから「アメリカ大陸」と命名したのであって、「アメリカ大陸」と名札がついている大陸に上陸したのではありません。当たり前のことですが、発見する前から存在していました。

 発見されるすべては、既に体験されていたり事象として常に起こっているはずです。ただ観察者が「当たり前のこと」として見過ごし、起こっている現象を観る目(=智慧)が覆われているからにほかなりません。

 もし発見したいのであれば、脳の習性(=癖)を全面的に疑う必要があります。今まで思考しても発見できなければ、思考しても発見できないと他の手法を選択する必要があります。物理学者は物理という観察眼を持っています。考古学者は考古学という観察眼を持っています。本来の自己を発見するには、自己観察眼によって必ずや発見するに違いありません。

 自己観察眼を曇らせているのは、自身で作っているプログラムだったり、脳の癖であったりします。また、”いのち”の壮大な歴史から完成に至っている潜在意識だったりします。DNAに刻み込まれ受け継がれてきました。おいそれとあがなえることではありません。

 さらに、自身では「罠」といつまでも気づきません。巧妙なパラドックスであったりもします。  歴史上で飛び抜けた自己観察者(=お釈迦様等々)が残してくれた、発見するための「キーワード」を頼りに覆いを剥がしていかなければなりません。

 既に一切が悉有仏性という「当たり前」を発見するかしないかは自身に委ねられています。

 「真実」は受け取る人の世界で、どう受け取るかに委ねられています。”いのち”の数だけ宇宙は存在しているのではないでしょうか。

 ブータンの子供と日本の子供の見ている世界は同じでしょうか?同じ小学校で隣に座っている子供でもまったく同じ世界を感じているのでしょうか?一卵性双生児でも同じ世界を感じているのでしょうか?  一卵性双生児でも全く同じ経験をしているわけではありません。

 同じ根からも異なった葉や異なった花が咲きます。同じ頭だからといって全てが同質の髪の毛でしょうか。ある臓器の細胞は全く同じ細胞でしょうか。あらゆるものは生滅を繰り返し遂には消え去っていきます。消え去らなければ、生じてくることができません。全くそのままであれば成長することはできません。


<まとめ>

・一切は隠されることなく露わになっています。

・自己が何者(=本来の自己)かを知るには、自己観察眼が必要となります。

・脳の癖を知らなければなりません。 ・自分自身の習性や脳の癖を疑ってかかることです。

・先駆者の残してくれた「鍵」を応用して「本来の自己」を発見するように努めます。

・各人には各人固有の世界があるようです。

・各人の世界で各人が「本来の自己」を発見しなければなりません。 他人が他人の世界で発見した「鍵」は自身の世界ではそのまま使えないようです。

※コメントがある方はコメントをお書き下さい。


<注:勝手な個人的な見解の部分がありますので、鵜呑みにせずに仏道修行による智慧によって確証することをお願いいたします。 引用もしくは酷似表現の場合は、タイトル及びアドレスの明記をお願いいたします。

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