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十牛図2−2 [十牛図]

第2図.見跡(牛の足あとを見つける) じつは、今まで歩いてきた湖のほとりや林の中の、いたるところに牛の足あとはあった。 道ばたには、牛の食べるよい香りのする草(お経や言行録)がたくさん生えているのを見ることができる。 たとえ疲れきって、方角も分からない深い山の、さらに奥深いところにいるとしても、 天に届くほどの牛の鼻は、隠すことはできない。 -----  こうありたいと思う自分と現実の齟齬によって、苦しんでいる自分がいます。思い通りにならないということは重々承知していますが、救われたい自分と救いたい自分がいます。救いたい自分は今までの経験や知識で外の世界を知ることができました。自身の経験や知識で、我が身を維持できてきたという自信があります。  確定していない未知の出来事に不安が募ります。未知を憂えているのではなく、現状を未来に置き換えて不安をつのらせています。現状を解決できない限りは不安を一掃することなどできません。  一切はによって左右されます。人生で確実なことは死以外には見当たりません。何が起こっても不思議ではないのに、起こってほしくないことばかり。悩みは尽きません。  悩んでも悩まなくても一日は一日として過ごしてきました。いつでも目の前の現実が刻々と展開しています。  過去の記憶にも身体にも一切囚われずにただ在る。誰にでも、姿形などない「ただ純粋な意識」だけがある。純粋な意識そのものとして気づいて「このようにある現実」だけを見る。「このような現実」において、純粋な意識には何一つ欠けたり余計なものがあったりということはないと思われます。  頭に思いがよぎり「こうありたいという理想」と「現実」を比較して、現実を受け入れることができなければ「悩み苦しむ自分」という幻想(=悩んでいる自分)を出現させることになります。  一切は留まることなく生滅変化して粉々に分解されて遂には消え去る。縁によって周縁和合して何かとなって現出する。  得失に悩む人、比較にこだわる人、期待する人、固定観念の強い人、病や死を受け入れない人等は無常を理解しなことには決して解決できないのではないでしょうか。自らがスーパーマンか神にならなければ達成できないような事です。心のどこかで全能の神になれると期待しているかもしれません。  悩んでいる自分がいるという幻想に気づくことができたということがスタートです。悩み苦しむ本体の牛が残した「牛の足跡」がしっかりと心に刻みついていることを確認できました。  牛(=混乱の原因)は草(=お経や言行録)を食べれば一時的に満足して大人しくなるようです。はっきりとした姿が見えない牛であっても、自身の身体を日々守っていてくれている。日々の行動は潜在意識(=無意識)によって監視・制御・保持されています。  我々の身体は内分泌系・免疫系・神経系からなっており殆どが大脳辺縁系と脳幹であり、自らの意志で直接統制できない部分によって維持されています。大脳新皮質での思考は微々たる働きでしか無いのに、論理的思考があたかも身体を操っているかのごとく錯覚しているようです。  牛(=哺乳類脳・爬虫類脳)の鼻の一息一息によって生かされていることは、隠すことのできない事実であると認識しなくてはなりません。  坐禅によって、何も考えないということはできない、ということに気づきます。 身体はただ坐っていて何もしていないのに、落ち着かない。身体のあらゆる所に注意が注がれ気になっている、ということにも気づきます。  思考も身体も大脳新皮質ではどうにもならないということに気づくことです。脳が身体に変化をもたらすのではなく、身体が脳に新たな変化をもたらすということです。知識や思考でできることなら、悩みなど解決できているはずです。思考によって「混乱を無くす」どころかかえって「混乱を増幅」することに気づく必要があります。   <参考>  視床下部は、脳の間脳(かんのう)にあり、自律神経の調整及び内分泌機能を総合的に調節することで、生命を維持し、生体活動の恒常性(ホメオスタシス)を保っています。自律神経に指令を出し内臓の働きや代謝機能をコントロールし、脳下垂体に指令を出しホルモンの分泌をコントロールします。  また、視床下部は、感情や情動の活動と密接な関係があり、心と身体をつなぐ中継地の働きもっています。生命維持に欠かせない基本的な欲求や感情を産み出すので、生命の脳とも呼ばれ、視床下部もまた、極めて重要な器官です。 <注:勝手な個人的な見解の部分がありますので、鵜呑みにせずに仏道修行による智慧によって確証することをお願いいたします。 引用もしくは酷似表現の場合は、タイトル及びアドレスの明記をお願いいたします。

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