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いのち(7) [いのち]

 病気のほとんどが五臓六腑です。「脳」の病気も「血管や血液」の異常に由来するものです。血液の滞りや血液の凝固によって発症します。「脳」を正常に働かせるには「腸」を中心とした内臓系がいかに正常に機能しているかにかかっているのです。

 「脳」はとっさのときに交感神経を働かせ、身を守るために日夜働かされています。そのために、休息時間があたえられていますが、内臓系は日夜休みなく働いています。

 「脳」は「内臓」から摂取していただいた栄養を血管を通して供給していただき維持されているのです。、身体の一臓器であって、身体の「僕(しもべ)」かもしれません。「脳」は内臓系に作用できる範囲は小さいのに対し、内臓系から脳への関与は大きいのではないでしょうか。

 「脳」自体が血液を浄化したり、血液を造ったり、血液の流れを制御できるわけはありません。内臓からの指示を仲介して視床下部や延髄を経由して各器官に信号を渡しているだけではないでしょうか。内臓系は内臓の各器官がホルモンを分泌させて、精密な情報交換によって維持しています。「脳」はそれほど利口ではなく、生存のために危険な情報をすばやく察知し回避行動をすみやかにするために発達したまでの事ではないでしょうか。「脳」は、手足を巧みに動かすことで最も大切な「身体」を守ったり、「身体」に食料を提供するために活動させる役割を担っているだけだったはずです。


 「内臓」は各器官が分業して役割を果たしています。各器官に情報を伝える自律神経とホルモンがあります。それぞれの情報伝達スピードの違いで、その効果や持続時間にも相違があります。

 意志しないで、無意識的に働くのが脳幹(間脳・中脳・延髄)であり、内臓系神経と相互に情報交換することで、体内環境を維持しています。

 「脳」のみが主体となって身体を司っているわけではないと考えています。我々の身体の一つ一つの細胞は、まさに原初のマザーセルが息づいているはずです。細胞一つ一つが、原初のマザーセルから細胞分裂を繰り返し、それぞれの細胞が我々の意志とは無関係に、「いのち」の法則のとおりに活動しているだけではないでしょうか。  それぞれの細胞は「生きたい」のです。その細胞の集合体である我が身は「生きたい」のだから生きる意味は、細胞そのものの本能です。細胞に対して一切の制御はできないのです。本能である「いのち」とは離れた、本能でない「大脳皮質」での「思考」によって「自我」が作られているようです。煩悩を強める「無駄」なことは諦めてはどうでしょうか。 身体の声に耳を傾け、自然の力に委ねることも時として大切なことです。

 「大脳皮質」が主であるという観念を拭い去り、思考によって全てを制御してやろうなどと考えず、坐禅により「脳」の活動を鎮め「脳」の呪縛から解放され生き生きと機能してくれる生活を送る必要があるのではないでしょうか。


<注:勝手な個人的な見解の部分がありますので、鵜呑みにせずに仏道の修行による智慧によって確証することをお願いいたします。 引用もしくは酷似表現の場合は、タイトル及びアドレスの明記を願いいたします。

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