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いのち(4) [いのち]

 7億年から5億年ほど前の腔腸動物(ヒドラやイソギンチャク)から脊椎動物と無脊椎動物にわかれたとの説があり、その一方の雄である脊椎動物の頂点が、われわれヒトであるのと同様に、もう一方の雄はすなわち無脊椎胴部の頂点、節足動物、つまり昆虫です。

   腔腸動物とは、近くにある餌となるものを体内に取り入れ栄養として生きていた「いのち」です。動物は植物と異なり、生きるためにただ「食べる」必要があったのです。  腸の役割は、必要なものを取り入れ、不要なものは排出することです。我々の行動は、瞬時に反応し「己」がほしいと感じたものに囚われ執着し、腔腸動物の触角の働きと同じように、危険なものから手を引くような反射的な反応をしているのです。

 動物の行動であり「いのち」の営みですからその行動には「善悪」などありません。「いのち」として「己」の命を守り(栄養摂取)少しでも長く生きて(危険回避)いくことなど当たり前のことです。

 動物の中で、脳や脊椎、心臓がない「いのち」はいますが、「」がない動物はいません。身体の中で最も古く、最も大切にしなければならない臓器は「」ではないでしょうか。

 「」からすべての内臓が分化し、内臓神経系として心肺内臓神経,腹部骨盤内臓神経,骨盤内臓神経の3つが作られていったようです。  動物の中で動物性機能と植物性機能があります。動物性機能は運動や感覚が含まれ、植物性機能には栄養・成長・生殖などが含まれます。「」は消化器官ですので植物性機能です。  人間の受精卵の胚発生の段階に動物極と植物極が認められます。これは、まさしく陰陽太極図を思い浮かべるほかありません。  「腸」がつくられ、次に神経系がつくられていくのです。受精してからの進化は、魚類、両性類、爬虫類、哺乳類、ヒトとなって、この世に生まれ出でます。

 この数十億年の進化の過程を、10か月余りの間に体験してしまうのです。この地球上で数えきれない生死を繰り返した進化の最終形がヒトではないでしょうか。生物学的には、貪瞋痴の煩悩はなんら非難されることはありません。

 しかし、この「いのち」の飽くなき生存を「」と認識したのですから、「解決」しなくてはならないのです。もううんざりすると感じたのなら、この生の中で解決することです。次を期待すれば、また一からのスタートになるのです。(個人的な見解)


 頭(動物性機能)で納得するのではなく、身体(植物性機能)での納得が必要となります。頭で解ったではなく、腑に落ちる必要があるのです。腑とは内臓をしまいこむ部分の身体です。身体での理解がなければ真の理解とは言えないのではないでしょうか。頭だけの理解は、知識でことたりますが、身体での理解は体験が必要です。只管打座を何故勧めるかは言うまでもありません。(個人的な見解)


<注:勝手な個人的な見解の部分がありますので、鵜呑みにせずに仏道の修行による智慧によって確証することをお願いいたします。 引用もしくは酷似表現の場合は、タイトル及びアドレスの明記をお願いいたします。

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