So-net無料ブログ作成

いのち(3) [いのち]

<何のために生きるか>

 「いのち」の根本単位である細胞は、生存のために己の消滅を脅かされることに対して「恐怖と不安」がプログラムされていると思われます。(勝手な想像)

 この「恐怖と不安」を解消するために、自らをコピーし増殖することで己そのものの「いのち」を繋いで生きつづけようと必死であると思います。(コピーされても「恐怖と不安」は消えない)

 いかなる細胞であろうとも、自ら積極的に死のうとする細胞があるでしょうか。役割を終えて死ぬだけの細胞はあります。(カエルになるときにはオタマジャクシの尾)。

 細胞の「いのち」はすぐに終わってしまいます。そのわずかの時間の「いのち」の細胞が集合することで生命となります。

 細胞の集合体が臓器を作り、臓器の集合体が身体を作り、神経を集合させ脳という集合体をつくり、各集合体の集合体が人の「いのち」となります。

 部分的に寿命がきたとしても、他の部分の細胞が「いのち」を維持させることができます。細胞の観点から見ると、人間の死は、プログラムされた①アポビオーシスと②ネクローシスに分けられます。

 人間は他の臓器が複合的に不全とならない限り、プログラムされた死と言われるアポビオーシス (細胞の寿命死)によって死にます。 神経細胞や心筋細胞などの非再生細胞心筋細胞の寿命が「いのち」の寿命そのものとなります。

 細胞が集まった「いのち」は「物」です。自ら動かずに太陽エネルギーを摂取できるのが「植物」です。直接に太陽エネルギーを摂取できず動き回り、間接的に太陽エネルギー摂取をしなければならない「動物」であると思われます。

 ヒトは、有機物のグルコースなどを細胞の中に取り込みます。そして、細胞の中で、その有機物から酸素と酵素を使って反応することでエネルギーを取り出します。細胞自体がエネルギー源そのものです。  植物は、植物の細胞に含まれる葉緑体は、1細胞あたり数十個〜百個以上と言われています。 葉緑体は、チラコイドにおいて光合成を行うことによって光エネルギーを生体エネルギーに変換し、さらにそのエネルギー を利用して二酸化炭素から糖などの有機化合物を合成するということです。

 ヒトは食物と酸素の摂取によって「いのち」を維持しています。細胞と同じで次の世代に己の遺伝子を繋げばそれで役割は終わりです、お払い箱なのです。


 「何のために生きるか」の前に、どうして生まれてきたかですが、それは縁によって生まれてきて「いのち」の法則に従い生きているだけです。

 人間社会で言われているような、望んだものを得る「財産を得る」「権力を得る」「名誉を得る」のが目的でしょうか。それは、細胞レベルから猿レベルに進化しただけのことです。

 己の「執着」に振り回され、己を見失うことになります。細胞レベルで役割を果たしたのなら、「毒矢の喩」にあるように、どうでもよいことから手を引き「安心立命」となりましょう。

 世間での「評価を得ること」と己の「恐怖と不安の解消」のどちらを選べばよいのでしょうか。他の評価に揺さぶられる「自己満足」か、揺さぶられない「自己理解」かだけの問題です。

 現世への執着をかなぐり捨てることで「恐怖と不安」を払拭し、縁を消滅することが残された人生で歩む道ではないでしょうか。


<注:勝手な個人的な見解の部分がありますので、鵜呑みにせずに仏道の修行による智慧によって確証することをお願いいたします。 引用もしくは酷似表現の場合は、タイトル及びアドレスの明記をお願いいたします。

nice!(1) 

nice! 1